【BIMの話】言語を学ぶように
2018.07.05
パラメトリック・ボイス 竹中工務店 石澤 宰
先日、建築情報学会キックオフ準備会議というイベントでBIMについて2時間語り尽くすとい
う試みを行いました。登壇者からプレゼンテーションなし、質疑応答にひたすら回答するとい
う形式で「BIM 1000本ノック」という副題をつけました。小中学校と野球部で、合宿で実際
にノックを受け続けた私の実感としては、割とみなさま私たちが受け取れるように打ってくだ
さったかなという感じがしています(野球の練習では取れないノックが結構あるという意味で
すが)。参加いただいた皆様ありがとうございました。
その際に挙がったひとつのキーフレーズが「BIMの習得は新しい言語を学ぶのに似ている」と
いうものでした。共登壇者の提坂さんとは語学の話で盛り上がることもあり、私たちらしい発
見だったと感じるとともに、改めて振り返ると味わい深い言葉だなと思います。
私は現在、慶應義塾大学大学院湘南藤沢キャンパス(SFC)の博士課程に在籍しています。私
の母校でもあるこのキャンパスには、設立当初から3つの言語という教育コンセプトがありま
した。すなわち、人間が読み書きに用いる自然言語、コンピュータを操るための人工言語(プ
ログラミング言語)、そしてものづくり・システムづくりを目的とし、学習可能なルール・セ
ンスなどを含むデザイン言語の3種類です。私はこの考え方のもと教育を受けたわけですが、
そのこと以上にこの考え方が好きです。
BIMと言語のアナロジーには当てはまるところが多く見られます。後天的に習得可能で、語彙
を増やすことで表現の幅が拡充されます。しかしその文法・修辞法を深く学ぶことでより的確
な表現ができるようになり、洗練されたもの、究極的なものは人に感動を与えます。使うこと
が習得の早道であり、アウトプットを多くすることで習得スピードが早まります。
言語やそれを用いて記述される文章を、意思疎通の道具として見るなら、自分の表現したい内
容が過不足なく盛り込めれば良しとされるでしょう。しかし無駄のない協業のための道具、文
字通り「共通言語」として見るなら、他者から見て理解しやすく誤解を生じにくい、簡潔なも
のであることが良しとされるでしょう。またもし、法律のような規定・標準化のためのものな
らば、修辞的には迂遠でも、厳密に定義された用語に基づいて誤読の余地のないよう記述され
るべきです。
BIMも然りで、表現の道具として自由度の高いBIM、協業のための汎用性の高いBIM、契約履
行や申請のための厳密性の高いBIM。それぞれ見ようによっては別物であり、それゆえに人に
よって得手不得手もあり、また「どれでもイケるこれ一本」みたいなものは存在しないことが
わかります。面白いエッセイと同じ文体で法律が定義できないのと同じように、表現力に富ん
だモデルが正確な生産情報を盛り込むのに適しているとは言い切れません。
私は語学が好きで、高校や大学の第2言語の授業も楽しみにしていましたし、行く先々の国の
日常的な挨拶や文字を学ぶのも毎度楽しく思います。特に面白いのはビルマ語(ミャンマー語)
とかマジャル語(ハンガリー語)でしょうか。複数の言語を学ぶことは、思考の構造そのもの
を学ぶようで楽しく感じます。
違うソフトを学ぶのも同じで、クリックの左右ひとつ、コマンドパレットのデザインひとつ
とってもソフトウエアに通底する思想の違いが見て取れ、それがソフトウエアの得意分野に直
結していると感じることも多いものです。
だから複数のソフトを使って回るのは、同じ建築や設計のプロセスをいろいろな角度から見る
ようなものであり、色々と新鮮な気づきを得られて、旅人であることは重要だと思わされます。
よく、ARCHICADとRevitの違いやメリット・デメリットは何かという質問を受けます。実は先
述のBIM 1000本ノックでも複数寄せられた質問でした。私が答えるなら「両者それぞれ思想の
異なるソフトなので比較して理解しようとしない方がよいが、ただ石澤がソフトウエア好きにし
て良いと言われたら、たとえば、私がとにかく建築設計に専念して形を作り、自らクライアント
を説得する立場にいるならARCHICAD、例えばデータ連携上のメリットがあるときはRevitを選
ぶ」というような感じでしょうか。
前述の例から言ってこの質問は「フランス語とスペイン語の違いやメリットデメリットは何か」
というようなもので、スペイン語の方は語順がかなり自由だとか、!マークで文章を挟む習慣
があるとか、構造的な違いを論じることはできますが、それを突き詰めて本質的な違いに至る
ことは至難の技ですし(そんなものがあるかどうかもわかりませんし)、言語の良し悪しとか、
ましてや優劣を一概に語れるものではありません。
こんな言い回しがあります。「ドイツは森の国。ドイツ語の明瞭な子音は森の中でよく響く。」
私の履修していたフランス語の教授はこう言いました。「ドイツ語は犬を追っ払う言葉だが、
フランス語は愛を語る言葉である。」
その次に履修したスペイン語の教授は言いました。「フランス語は女を口説く言葉だが、スペ
イン語は神と語る言葉である。」
もちろん誰も本気でこんなことは言わないわけですが、この感覚わかっていただけると思いま
す。
言語の違いは民族の違いに繋がり、紛争を生んだ例は数知れません。何を大げさな、とお思い
かもしれませんが、その意味でBIMにまつわる政治的な思惑というものを感じないでもありま
せん。たかがソフトウエアで何のことだろうとも思います。また、こういう話になるとどこか
らともなく「それで結局いい建築は作れるの?」という決して結論の出ない(というより関係
のない)議論を持ちかけてくる人もいます。きわめてどうでもよい話のようにも思われますが、
人間の性とはそんなものなのかもしれません。
言葉を選び抜き、思いつく限りの慎重さと丁寧さで放った言葉が何かを変えたという経験を
持っている人は、それが何語であれ言葉の力を信じるように、何か1つのソフトウエアで自分
のアイディアに翼が生えるような経験をすることはきわめて重要です。
そのような人こそ、他の言語で同じようなコミュニケーションを試みたとき、あらためて言語
というものの難しさや奥深さ、そして面白さを再認識する。違うソフトを使うこともまた然り
だと思います。
そしてそういう人であればきっと、世界は多様性に満ちていることを知っていて、どんな道具
が来ようとも、うまく付き合いつつ手持ちの道具と組み合わせてなんとかできる。それがゆえ
に道具のポリティクスから無縁でいられる……そんな構造であると良いなと思います。