建築情報学と私の役割
2022.04.12
ArchiFuture's Eye 東京大学 池田靖史
しばらくご無沙汰だったこのコラムに書くことが相応しいのかどうか自信がないが、これまで
にも比較的個人的な話題もここに掲載してきたので、今回は私自身の職場異動についての報告
に近い内容であるがご容赦いただきたい。
まだご挨拶の機会がなかった皆様には大変失礼をしてしまっているのだが、4月1日から本郷
の東京大学工学系大学院建築学専攻の特任教授を本務として働くことになり、25年間お世話
になった慶應義塾大学SFCを離職することになった。これには一言で言えない複雑な思いがあ
るのだが、先に述べておくと慶應義塾大学でも非常勤の立場で進行中だった研究や指導に携わ
ることで、両校に利益のある大学間連携の橋渡し役として活動していく心算である。
慶應義塾大学SFCは「建築情報学」の震源地だったと自負している。振り返ると、私の建築家
としてのデビュー作でもある木造の研究施設をSFCキャンパス内に建設でき、それをそのまま
自らの拠点として20年使いながら、建築とは全く異なる分野の研究者たちと国際社会、地球
環境、そして情報技術による社会の革新などの視点を共有してきた。それが私自身を成長させ
てくれ、私と一緒に夢を見た若い仲間たちが社会に広がり、やがて「建築情報学」という呼び
方が使われるようになっていった。この名前は私の発案ではないが、今のように認知されてい
く過程にはずっと関わってきた。このような進歩的な変化の芽を決して邪魔することなく、共
感して応援する独特の文化は、既存の建築学教育機関には申し訳ないが、領域融合を追求して
きた慶應義塾大学SFCにしかなかっただろう。
おかげで建築学に縛られることなく、誰にも遠慮せずアルゴリズミックデザイン、デジタル
ファブリケーション、拡張現実、サイバー・フィジカル・スペースなど興味があるものには好
きなように手をつけていった。環境シミュレーションのように多少不案内な領域であっても、
建築と情報の関係から踏み込んでいくうちに学生や若手研究者の方から様々な知識を持って世
界中から集まってきてくれた。その結果、総勢20名以上の大学院生のうち半分以上が外国人
留学生、さらに1/3程度はコンピューターサイエンスなど建築学専攻以外の出身という強力
な研究室チームが出来上がったのである。
大学教授は研究室というスポーツチームのコーチみたいなものだと思う。選手を育てて起用す
る役割はもちろん重要だが、一方で選手が活躍してくれない限り実績を上げることはできない。
私の場合には本当に幸福なことに、次々と優秀な若者が現れ、彼らが社会の中でのネットワー
クづくりにも参加し、建築情報学会という新しい学術コミュニティが発足するところまで発展
した。正直言って今現在が慶應義塾大学SFC池田靖史研究室の黄金期だと思っている。
実のところ昨年還暦を迎え、定年までの残り期間をこれまでの研究をまとめていく段階として
自分なりに考えていた。そんな風に、ほんの半年前まで自分でも全く想像もしていなかったに
もかかわらず、何故大事なチームを置いて、急に東京大学に移籍するのか、という話をしなく
てはならない。
それは端的に言えば、東京大学建築学科が建築情報学の必要性を全面的に認め、教育と研究の
両面で新たな軸として確立していきたいという明確な姿勢を見せたことを意気に感じたからで
ある。これまで情報学的視点からの建築という存在の解体と再構築を主張してきた私に、本当
にその挑戦をさせようという日本最古の建築系大学の懐の深さに感服したからである。社会的
な影響力を考えれば、東大建築学科が変われば全国の建築学科が変わり、建築における情報の
位置付けは大きく変わるだろうと思える。この誘いを断るということは、これまで主張してき
た建築情報学の発展の必要性を自ら否定するようなものだと思ったのである。別の見方をすれ
ば、これまでは安全なところから吠えていたようなもので、もっと現実的な責任を持ってどこ
までできるのか、と問われ、逃げられずに奮い立つしかなかった。
改めて考えてみて、このような建築情報学的視点の急速な拡大は決して私の力などではなく時
代の潮流のなせる技である。私自身は好奇心から始めただけで、初めから情報技術による社会
変革の全てを見通していたわけではない。むしろ私の本性としては建築が大好きなデザイナー
志向の人間で、さまざまな巡り合わせの結果今の立場になったと思っている。しかしそれが自
分の運命だったのなら、自分にできることに邁進して社会に貢献できる道を選ぶべきだろう。
建築情報学の社会的な役割をさらに発展させられる使命を果たすべきだろうと思った。
さて、東京大学に来て具体的に何がしたいかと言えば、建築情報学を通じて東京大学に既にお
られる優秀な人材や研究を結びつけて回ることである。実のところ建築学の最先端はどの分野
も情報技術と高度に融合し、共通性の高い展開を持っている。出発点としての建築学上の領域
が異なっても似たような成果を目指していることも多く、既に建築情報学会で活躍されている
研究者もいる。
もともと情報分野は横断的な軸になれる存在である。環境、構造、生産、材料などの技術が、
デジタルデータでこれまでよりずっとダイレクトに結びつくことで産まれる成果にこそ建築情
報学の可能性がある。むしろ足りないのは、社会自体の情報学的変化に適応してその結びつき
やまとまりに意味を与えられる思想、すなわち新しい意味での「デザイン」あるいは「メタデ
ザイン」の存在だと感じる。これまでの歴史的過程で分解されながら確立されてきた建築の諸
概念がもう一度溶け合い、再び人類の創造性に関わる思想として結晶することを夢想している。
コーチとしての実績を買ってくれたのは嬉しいが、今のところまだ一人も選手のいないコーチ
なのでそんなにできることはない。スポーツと違って直接対戦するわけでもないので、慶應大
学の選手を鍛えることも、私の時間が許すかぎり認めていただいている。だからこそ冒頭の話
に戻って、大学間混成チームとして連携交流を仕掛けることでSFCが持つ境界を超越する文化
を東京大学に持ち込み、それを東京大学における建築情報学的領域融合の新たな威力として世
に示すことができれば、まずは私の使命の第一歩だと思っている。
慶應大学SFCで拠点としてきた木造研究棟「森アトリエ」の前には設計者として22年前に寄
贈植樹した白木蓮の木が植えられていて、毎年卒業式の頃に白い花を咲かせている。歴史ある
本郷の工学部1号館の前の大銀杏のような大木になる頃には、どちらにしても私はいないだろ
うが、建築情報学はどちらにも残るのだと信じている。