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コラム

楽が一番という価値観とBIM

2022.04.28

パラメトリック・ボイス                   熊本大学 大西 康伸

拘束時間がなるべく短い研究室を選ぶ。
 
これは私が所属する大学で、学生たちが研究室を選ぶ最も大切な基準である。結果として、第
一希望は計画系、第二希望は材料系、第三希望は環境系みたく、なり振り構わず系をまたいで
研究室を選ぶ学生がゴロゴロいる。成績の良し悪しに関係なく、である。地方国立大学でレベ
ルとしては可もなく不可もなくのど真ん中、そんな大学の実情として、放っておくとこれまで
の人生で最も勉強しない4年間もしくは6年間を過ごす大学院に進学するからといって、皆や
る気があるとは限らない。教員として、日々どうすべきか悩んでいる。
そもそも、研究室は好きなことを勉強し、やりたいことを研究する場所である。それを拘束と
呼ぶこと自体、大学という場所についてその目的を見誤っている。自由になった時間を何に使
おうとしているのかは定かではないが、勉強や研究の類でないことは間違いない。時々、建築
士資格の勉強や公務員試験の勉強をしている学生を見かけるが、とても複雑な気分になる。
 
BIMが研究テーマだと学生からの人気がスゴイんじゃないですか、と企業の方からよく聞かれ
る。実際は皆さんが思っているほど学生はBIMに興味がなく手描きは面倒だし手が汚れるし、
BIMだとパースが簡単に描けるから、くらいに考えていることが多い。私の大学では、中途半
端に少しだけBIMが使える学生を量産している現状があり、その一方で、それを研究テーマに
して深く探ってやろう、と思う学生はかなり少ない。
学生は教員が鏡に映った姿であり、そのような学生にしてしまった教員側の姿勢にこそ問題が
あるかもしれない。そうなると学生を変えるために教員を変えねばならないが、自分を含め、
学生を変えるより困難が伴う。そんな中でも、将来何とか一角の人物になってやろう、という
気概がある学生も少ないながらいる。現在、私の研究室はそんな彼等の頑張りで成り立ってい
るが、その数は年々少なくなっている。共同研究中心の研究室の体制はもう今年限りかもしれ
ない、と綱渡りの日々を過ごしている。
 
さて新年度早々たいへん長い愚痴になってしまったが、この楽が一番という考え方、何故か受
け入れることができない。自分を痛めつける趣味など持ち合わせていないが、楽をすることは
手放しで良いことなのか。誰もが幸せになりたいと思うし、それについて異論の余地はない。
しかし、何かにつけ楽をすることは幸せなことか、ずっと考えている。例えば、携帯電話やス
マホが日々を楽にしたが、それによって幸せになったとはこれっぽっちも思った事がない。
BIMも同様、今のような使い方だと、人を不幸にすることはあっても、誰かを幸せにするなん
て思えない。私はただの変わり者なのだろうか。当然自分ではそう思ってはいないが。
 
私は大学生の時に登山を始め、今でも時々研究室OBであるY設計事務所のM君を誘い九州の山
に登る。多くのOBがいる中でなぜM君なのかは自分でも分からないが、馬が合うからなのだと
思う。同じ山に登るのに、自動車やロープウェーなどの文明の利器を使って登るか、自分の足
で登るか。自分の足で登った時の感動たるや、経験した人なら説明不要であろう。楽は心の感
受性を低くすると常々感じる果たしてこれは単なる価値観の違いに関係していることなのか、
あるいは、人間の原初的な喜びのようなものが関係していることなのか。
楽には良い楽と悪い楽の二種類があると思う。意味のある「楽」のためにBIMを使いたいし、
意味のある「楽をしない」をこれからも大切にしたい件のM君は今年10月から博士後期課程
の社会人学生として研究室に戻ってくる予定である。今回のコラムは、私や私の研究室が常に
思索している、未だ答えを見いだせていない問いである。この問いへの答えを、これからM君
と探すことができるのが何より楽しみである。

大西 康伸 氏

熊本大学 大学院先端科学研究部 教授