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コラム

シミュレーション再考

2022.09.27

ArchiFuture's Eye                  東京大学 池田靖史

シミュレーションの概念はチェスや将棋などのボードゲームにおいてコンピューターの登場以
前からあったし、狩猟、戦争などを想定した訓練と演習、役割演技のことだと解釈すれば、そ
の歴史はかなり長い。だが現代においてはシミュレーションといえばほぼコンピューター・シ
ミュレーションのことを指している。シミュレーションの概念は、「計算」と「人間」の関係
を捉える想像もできなかったほど哲学的で根源的な広がりをもっている。今回は既に日常生活
でも身近になり、当たり前に使っているシミュレーションとは何かを考えるコラムにしてみた
い。
 
まず、シミュレーションはシステムとして働いている何らかの現象を数理的な法則としてモデ
ル化し、その挙動や結果を近似的に再現する方法のことだとする。この意味では計算式によっ
て示された物理学の法則などはどれもシミュレーションの一種である。数理モデル化されるこ
とにより機械の計算能力で誰よりも速くその再現結果を得ることが現実的な価値になてくる。
砲弾の弾道計算による着弾予測がコンピーターの最初の利用目的だったことは偶然ではない。
だからコンピューターの計算能力が向上するに従い、人の手では計算困難な複雑な現象を扱う
方法へ発展したことも当然で、その利点を活かせる方向として離散的な計算の大規模な集積で
実現するマルチエージェント・シミュレーションが一般的となった。細分化された部分の挙動
とその相互関係を計算できれば、あとはそれを大量に繰り返すことでシステム全体の動きを再
現できるとするこの手法は気象現象や経済現象、地震による建物の振動現象など様々な現象を
理解するために発展してきた。その有用性は現象を「予測」できることにあるためシミュレー
ションにとって重要になるのはその正確性ということになる。例えば現在の天気予報はスー
パーコンピューターによってモデル化された大気や海洋の物理現象のシミュレーション結果だ
が、気象庁によればその正確性は24時間後で80%程度である。その正確性は影響要因や相
互関係のモデル化の問題だけでなく、空間を一定の大きさの部分の集積に分解して計算するた
め、分解の解像度にも大きく依存する。すなわちできるだけ細分化して計算した方がより正確
な結果を得られると期待できる。ところが細分化された要素の数やその可能性の組み合わせの
数は必要な計算量に直結しているために、結果として計算完了までの所要時間になってしまう。
つまり同じアルゴリズムなら必要な計算資源の量と正確性はトレードオフの関係になることが
多い。この計算時間と正確性の関係は利用目的によってはクリティカルであり、天気予報のよ
うな場合には計算所要時間のせいで結果の取得が現実よりも遅くなったら予測にすらならない。
だから解像度を下げて正確性を犠牲にすることもそのためにはやむを得ない。このように完璧
な再現ではなく計算速度に見合う簡略化をしている以上、誤差が集積していく方向にあるシ
ミュレーションでは近い未来の予測の方が高い正確性を示すが、だからと言って数分後の天気
が気になるわけではないので、現実的に予測を利用する上で意味のある時間差でなくてはなら
ない。さらにいえば、天気予報のように社会的有用性が認められれば、スーパーコンピュー
ターのような計算資源を使う経済的な合理性があるが、シミュレーションによってその程度は
異なるだろう。そして災害や事故などの確率的には稀な事象でも社会的には影響が大きいもの
は、シミュレーション再現が現実的に困難であっても有用性が大きいことも理解できる。
 
つまりシミュレーションは計算資源と予測の正確性に基づく現実的な有用性がその本質であり、
モデル化の方法やその計算アルゴリズムの良し悪しは結局そこで評価されることを理解しなく
てはならない。その一方でシミュレーションと現実の差異を比較できることが、現象のモデル
化の正当性を検証し、そのメカニズムの理解をモデルの改善につなげる道であることも重要で
ある。様々な前提条件の違いを場合分けしてシミュレーションすることによって、事前に想定
された要因の影響の程度が分析できることもこれにあたる。モデル化されたシステムの振る舞
いの観察が現象に関する洞察となるのがコンピューターを使った分析の基本形である。
実際に複雑系の理論はマルチエージェント・シミュレーションのおかげで解明され、一般法則
化していった。モデル化の知見はアルゴリズムとして蓄積され、他のモデルでもより高速で正
確な計算処理に貢献する可能性がある。そしてこの場合にも観察対象を拡大する鍵は計算力に
ある。
 
現象の再現がある程度高速になってくると、コンピュータ内に模擬的に作られたシミュレー
ション世界に人間が介入し影響を与えることのできる「対話型シミュレーション」が可能にな
る。ドライビングシミュレータが典型的だがスーパーマリオでも何でも、存在するほとんど全
てのコンピューターゲームはある意味ではこれに該当することにもなる。この「対話型シミュ
レーション」では先の未来の予測よりも人間の介入に対する応答速度の方が問題となる。現象
の再現としてはほんの一瞬先にすぎないが最大の影響要因となる介入操作への反応によって
次から次に操作を引き出すサイクルが成立しなくてはならない。これがいわゆる「リアルタイ
ム」の概念であるが、どんな現象でも、シミュレーションと人間とのスムースな相互作用が成
立する応答速度が実現できる計算アルゴリズムと計算力さえ確保できれば操作する人間にとっ
ては擬似的な存在と体験になる。このようにリアルタイム性が問われるため、初期のゲームで
は犠牲にしていた複雑性が計算力の拡大につれて向上してきた。ゲームを繰り返し遊ぶと上達
するのと同じように、リアルタイム・シミュレーションは運転技能のような人間側の能力開発
にも有効である。そしてリアルタイムなインタラクションがあれば現実には存在しないような
現象や、概念的な操作であっても同じように人間側が学び、慣れることができる。
 
さて、デザイン行為におけるシミュレーションの有用性を考えた場合、まずはその予測結果に
基づいた判断を可能にすることから始まるが、それは選択肢として考えられる様々な場合を準
備して、その中から評価の高いものを選ぶことで最適化の方向に進む。つまりコンピューター
によるデザインとはシミュレーションによる選択に他ならない。したがってこれまでに述べて
きたように、そのプロセスのモデル化と計算速度、正確性が重要になってくる。特にデザイン
プロセスをモデル化する方法はその目的によって多様に存在する。そのため限定された範囲の
条件下ではある程度有用な最適化が得られても、評価の観点が増えることで多目的最適化問題
となり、モデルの影響要因の範囲を拡大するほどケースの数が爆発的に増大して計算量から現
実的には探索不能になる問題が生じる。この問題を絶対的な最適化から「まあまあ」の選択肢
の絞り込みに方針を変える考え方がメタヒューリスティクスである。つまりここでも計算資源
を考えた計算結果の実用性をとって正確性を二の次にするとも言える。
 
デザイン行為が人工知能に置き換えられるのかどうかはここでは話題にしないが、人工知能に
よる判断が本当に最適なのかどうかを判断できる存在がいるとすればそれは人間しかいない。
もともとデザインプロセスは無限の選択肢の中を彷徨いながら、その試行錯誤の上に生まれた
より高次元の洞察を産む作業だとすれば、計算結果に対する判断を次のアイデアの源泉にする
ことができる「対話型シミュレーション」に求められることは容易に想像できる。言い換えれ
ばシミュレーションがデザインに与える最大の影響は、ケース比較の学習から生まれる新たな
展開だと思われる。その有用性は古の戦士でも人工知能との対戦で腕を磨く棋士でも、システ
ムの振る舞いから原理を見出す科学者でも同じである。そしてこれまでみてきたように、この
ような人間とシミュレーションとの創発的な関係を考える上で必ず問題になるのが、計算処理
の速度とそれを支える計算資源、そして計算正確性のバランスである。実はこのことは現実と
シミュレーションが全く別々なものではなく、有用性の観点から連続していることを意味して
おり、シミュレーションをリアルタイムで操作し続けながら考えるデザイン行為のサイバー
フィジカルシステム化を示しているものでもある。しかし、人間とシミュレーションのシステ
ム的一体性を捉えたこうした考えはそれほど特殊なことだろうか。
 
シミュレーションが無意識のうちに我々の思考と社会を変質させている可能性を指摘したのは
フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールである。1981年に著書「シミュラークルとシ
ミュレーション」で提示したハイパーリアルの概念では、貨幣の価値が物質から乖離してし
まったように、本来現実空間のシミュレーションの一種であった地図という道具が、人間が情
報を交換し消費するメディアの性格を持つうちに現実との区別がつかない状態に移行しつつあ
ることを指摘した。映画「マトリックス」はこの思想に影響された監督によって制作されたこ
とが知られているが、ボードリヤールの議論の延長線上にもっと深い論争を巻起こしたのがイ
ギリスの哲学者ニック・ボストロムによる「シミュレーション仮説」である。我々の宇宙と現
実が超越的な文明による計算機の中のシミュレーションであるとする、まさしくSF的な主張な
のだが、なんと量子力学や宇宙物理学の科学者の中にも現在の理論と矛盾しないとして支持を
表明する者も結構いて、構造的に反証が困難であることからも論争に決着がついていない。こ
こでは紹介するに留めるので興味があれば調べてみるといい。ただ、私が本稿で言いたかった
ことは、コンピューターとオンライン情報が我々の精神世界に浸透しつつある現在の世界で
「シミュレーション」の概念はもはや単なる方法論のレベルでは語れないということである。
 

※上記のGIFをクリックするとGIFの出典元のFinch3DのWebサイトへリンクします。

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池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長