デジタル技術を活用して行動変容(Behavior Change)をナッジ(Nudge)する
2023.02.09
パラメトリック・ボイス
明治大学 / 川島範久建築設計事務所 川島 範久
人間行動に働きかけ、行動変容を促す試みに関する議論が行われているBECCというカンファ
レンスについて、前々回のコラムで紹介した。そのBECCのトピックと関連するものとして、
HEMS(ヘムス)やBEMS(ベムス)といったものがある。Home / Building Energy
Management Systemの略で、センサーによって建物内の環境やエネルギー・水の消費
量(または生産量)をセンシング・モニタリングし、ディスプレイ等に表示し、設備機器を適
切に制御することで、生活を快適に保ちながらエネルギーや水の消費量を減らすシステムであ
る。設備機器の制御の方法として、室内の温湿度などに応じて自動でエアコンを制御したり、
照度に応じて自動で調光するシステムが導入されることがあるが、HEMS/BEMSにとって「自
動制御システム」は必須という位置づけではない。そもそも「データを見える化する」こと自
体にも、消費量を減らす効用があるという点が重要だ。
毎月送られてくる光熱費の領収書にギョッとし、節電しようと決意した経験があるひとは少な
くないだろう。日々の生活で自分がどれだけのエネルギーを消費しているかを知ることは、行
動変容の第一歩だ。HEMS/BEMSは、総量だけでなく様々な用途別のエネルギー消費量の変化
や累積も教えてくれる。どの用途が大きな割合を占めているかを知るだけでも行動は変わるは
ずだ。たとえば、あるアンケート調査(文献1)によれば、住宅においてエネルギーを一番
使っていると思う用途を冷房と答えた人は約40%であったが、実際の冷房のエネルギー消費量
の割合はわずか4%にも満たず(文献2)、過大にイメージされていると言える。しかし、実
際の割合がわずかであることを知れば、無理して暑い室内で我慢して冷房をつけずに過ごすの
ではなく、冷房は適切につけることとし(熱中症リスク軽減のためこれはとても重要)、それ
よりもよっぽど割合が大きい給湯や照明・家電の節電を試みる方が合理的だと考え、適切な省
エネ行動を行うことができるだろう。
さて、自分のエネルギー消費量を知ることに加えて、もし自分たちと似たライフスタイルの家
族と比べて、ある用途の消費量が極端に多いことなどの情報が送られてきたらどうだろう。ま
たは、明日のこの時間は外は涼しいので、窓を開ければ冷房をつけなくても涼しく過ごせます
よ、などといった具体的な省エネ行動のアドバイスが届いたらどうだろう。きっと省エネ行動
を実行するモチベーションがさらに上がるはずだ。Home Energy Reportは、そういった考え
に基づいたサービスのひとつであり、省エネ行動を促す新しいアイデアとして期待されている。
このように、ひじでそっと突くように人の行動を良い方向に促すことを「ナッジ(Nudge)」
と呼び、行動経済学分野で2000年代より注目されるようになり、近年は建築の省エネルギー分
野でも注目されるようになり、その導入効果の検証も行われてきている(文献3)。
さて、これらのサービスは、画像や文字といったメディアを用いて、ディスプレイに表示した
り、メールで送るなどして、情報を人に伝えようとするものだ。しかし、そのような情報は、
人が能動的に見ようとしない限り実際には伝達されない。そのため、スマホにショートメッ
セージを送ったり、開発したスマホアプリを通してその情報に触れるように誘導するなど、さ
まざま試みられているのであるが、いずれにしても、この情報過多な世の中で、このようなあ
る意味「お節介」な情報は、通知OFFなどして見なくなる人も少なくないだろう。そう考える
と、サービス供給側の思惑通りにはなかなか進まない部分もあるだろう。
ところで、今この文章を書いている私の目の前には、パソコンのディスプレイがあり、脇には
スマホが置いてある。しかし、かといって、私は今、ディスプレイとスマホからのみ情報を得
ているのではない。私をとりまく「環境」全てから情報を受けているのだ。そして、それによ
り行動を変えている。ふと窓の外を見ると、バルコニーで植木鉢の植物が気持ちよさそうに風
に揺られている。それを見た私は、窓を開けバルコニーに出て風を感じる、というように。つ
まり、よくよく考えてみれば、建造環境そのものが情報を伝えるメディアなのである。
建造環境というメディアにより人に情報を伝達し、人が自ら思考を変えたり、行動変容するよ
うな建築。そのような建築を、ICT技術によるレイヤーを建造環境に重ねることで実現しよう
と試みたプロジェクトを最後に紹介したいと思う。
東京・荻窪のヘアサロンのデザインプロジェクトである。既存のスペースは、街に面する間口
高さは2.2mと低いが、中に入ると天井高さが3.2mに広がる点が特徴的な空間だった。そこ
で、低い間口頂部から高い内部天井頂部までを繋ぐように、白く半透明な軽い布で天井を覆う
ことで、奥に行くほど天井が高くなるダイナミックな空間とした。重力によってできる自然な
布のたわみは、美しい髪の流れを想起させる。布は約50%の透過率を持っており、天井内部
にグリッド上に配置された照明ランプからの光は拡散され、雲のように光をまんべんなく空間
に行き渡らせることができる。これにより外に近い視環境の中で髪の色や髪型を確認すること
ができるようにした。
さて、このプロジェクトの予算は限られており、十分な外皮の性能を確保したり、高性能な空
調機を導入することは難しかった。そのため、温熱環境のムラが少なからず発生してしまうこ
ととなった。このような温度ムラは通常であればクレームの対象にもなり得るネガティブなも
のだが、それをポジティブなものに変換できないかと考えた。
そこでまず、カットスペースに温度センサーを一定間隔で配置し、空間の温度をセンシングで
きるようにした。そして、天井内部にグリッド上に配置された照明を、色相を変えることので
きるスマートランプとし、それぞれの照明の色を、その直下の温度に従って、高温であるほど
赤く、低温であるほど青く変化させるプログラムをインストールした。空間の温度ムラは本来
目には見えないものであるが、これにより空間の温度分布を目で見て把握できるものとなる。
ヘアサロンの予約は1時間毎なので、1時間ごとの来客のタイミングに合わせて3分間程度そ
の温度表示モードとなるように設定した。美容師は空間の温度分布を把握し、寒がりのお客様
を暖かい=赤くなっているエリアの席に座ってもらうようにし、暑がりのお客様を涼しい=青
くなっているエリアの席に座ってもらうように誘導する。あるいは、熱だまりがあることに気
づいて(赤くなっているエリア)、窓を開けたり、カーテンをしめたり、空調運転を変更した
りして、自ら環境調整をし、それを解消しようとする。主体的な行動によって獲得する快適性
は、自動制御による受動的に得る快適性と比べて、満足度が高いとも言われている。なにより、
このような空間の変化は、美容師とお客様の会話の種にもなるし、カラフルでなんだか楽しい。
デジタル技術を用いて、空間の環境情報をセンシングし、その情報をその空間にオーバーレイ
する。それにより、人はその空間の環境を詳細に把握し、その環境を活かすように行動を起こ
す。行動変容(Behavior Change)をナッジ(Nudge)する建築。そのような建築の新しい役割の
追求がデジタル技術によって可能になってきているのである。
文献1:森原 佑介, 井上 隆 他:アンケートによる一般家庭での冷房使用実態調査 : (第3報)
住宅内エネルギー消費の実態と居住者の認識,空気調和・衛生工学会大会 学術講演論
文集,2007年
文献2:住環境計画研究所:家庭用エネルギーハンドブック(2014年版),住環境計画研
究所,2013年
文献3:向井 登志広 他:スマートメータ版ホームエナジーレポートの実証研究:郵送停止後
の効果持続性や行動変容実態の検証,
BECC JAPAN 2021(第8回気候変動・省エネルギー行動会議),2021年