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コラム

「BIMの講義に足りないもの、なーんだ?」

2023.12.28

パラメトリック・ボイス                                   竹中工務店 / 東京大学 石澤 宰

もうすぐ6歳になる私の長女、最近は徐々にダジャレにハマりつつあります。先日見かけた行
動は「アレクサ、ダジャレを言って」でした。身近なオジサン(=私)に聞いてもらえればダ
ジャレの3つや4つすぐに出してあげられるのに、ダジャレを言うのはダレでもない、もはや
スマートスピーカーです。ちなみにアレクサの答えは「来年の手帳、買ってちょー」でした。
まあまあ上手いことを言われてオジサンの地位が危うくなっています。

その長女が最近私が朝活としてやっているポケットモンスタバイオレット ゼロの秘宝(後
編・藍の円盤)に出てくるポケモンをガンガン覚えていくのを見て、好きなことのために頭を
使うと本当に覚えが良いものだと感心します。私は赤・緑ポケモン世代より若干歳が行ってい
て、上記第9世代は私にとって「はじめての(教養としての)ポケモン」なのですが、私の義
弟はどんぴしゃりの世代で、初代151匹は今でもスラスラ暗唱できてさすがと思いました。

そのポケモンの名前をはじめ、ダジャレもなぞなぞも多くの子は大好きで、投げかけられると
自動的に頭が動き始めているように見えます。勉強が好きか、習い事が好きかは人によるかも
しれませんが、ちょっとしたトンチのようなものは楽しく、好かれている。しかし考えてみれ
ば大人だって、クイズ番組も推理小説も大好きなわけで、これはもう人間あまねくそういうも
のなのでしょう。

ずいぶんと昔、社内で役員向けにプレゼンテーションを行う機会がありました。内容に対する
質問に加えてそのときの彼のコメントは「わかりやすいね、わかりやすいから脳がラクをでき
る。だけどその分考えなくなるプレゼンだ」というものでした。

駄目出しでないことはわかったし、何より私は彼を尊敬していたので、なるほどそうですか、
勉強になります、と言ってその場は終わったものの、わかりやすいことの何がいけないのか、
どんな真意でそのコメントが与えられたのかは釈然としないままでした。

最近になって大学で講義をする機会を何度かいただいたことを通じて、ある経験則を得つつあ
ります。一通りのことを伝え終わった後ちょっとした問いかけをすると、よく印象に残ってい
るものらしい。描写的なスライドがなくても、また十分な解説がなくても、学生自身の頭がふ
と動くような問いかけをすると、その答えが授業後にいただくフィードバックシートなどに非
常によく挙げられる。お決まりの「質問はありますか?」というフォーマットではなかなか手
が挙がらないものですが、なぞかけの答えならば皆さんの頭の中に浮かんでいるらしい。それ
を言うのに気恥ずかしい環境さえなければ、やりとりはできるのかもしれません。

また別の機会。ごく最近、ある経営者と会話をしていたときのことです。重要なプレゼン資料
に商品写真を載せるのももちろん良いが生成系AIでイラストを描いて挿絵のように載せると
場合によってはそのほうが理解を得られる、と彼は言います。たとえば「山」なら「高い」
「登る」「自然豊か」のようなイラストの意味と、発表される内容がたとえば「成長」「向
上」のようにつながることを、読み手・聞き手は無意識に頭で追っている、というのはありそ
うな話で、これもある種のなぞかけであるのかもしれません。

今日は一所懸命頭を使って考えたからカロリーを消費した、甘いものが必要だ、とは実際には
ならないらしく、思考してもしなくても脳の消費カロリーはそれほど変わらない(ので、唯々
諾々と甘いものを食べるとやっぱり太る)脳がエネルギーを大量消費することは事実ですが、
「頭を使った」という感覚があってもなくても脳は動き続けている、というのが真相のようで
す(Raichle & Gusnard, 2002)。その中でもいわゆる「ボーっとしている」時の脳の活動状
態を指してデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)といい、空想・想像・信仰などと関
係が深い状態であるとのこと(Wikipedia)。たとえばアイドルのライブなどを現地で聞いて
極限まで曲に没入していると思っていても、ふと考えが逸れて他のことを考えている瞬間とい
うのが私にはあります。それは私の集中力が足りないせいで見逃してしまったもったいない時
間だと思っていましたが、ひょっとするとこれは曲がトリガーで発動されたDMNというライ
ブ体験の一部なのかもしれないと思うようになりました。そういう時間を欲しがる脳に従って
のことかもしれません。

禅問答の什麼生(そもさん)説破(せっぱ)では、問われたからこそ答えを考え出そうと考え
る。情報密度を追求し、コスパよくタイパよく、となんとなく思っていましたが、その上で頭
が回るための余地をとる、ということまではこれまで考えが至っていませんでした。かといっ
て、知らないものの話を延々とされたら、興味すら持てないまま考えはどこかへ飛び去ってし
まう。ある程度まで必要な情報をずらりと並べた上で、おもむろに問いかけをすると、いい感
じの考え事に人を導けるかも。そんな挑戦をしてみたくなっています。

なにかの概念や技能の説明が講義のすべてであるならば、抽象的な内容は避けて内容にとこと
ん特化することは合理的に思われます。しかしまた一方で、座学の講義はなかなかアクティブ
ラーニングになりにくく、定着度が低くとどまる傾向にある。その割合はともかく、定性的に
はこれは事実のようです(Wikipedia)。講義という、今の私にとっては基本的に一期一会の
機会が学生に残す影響にはどんなものがあるか考えると【抽象的な問いかけ】という手段は、
実際には「伝える」ものを「伝わる」に変える領域を大きくする効果を持っていそうに思いま
す。そう考えれば、わかりやすさと言うのは、物事を伝える上での吸収効率のような面に注目
した話だけれども、そのうえでの問いかけや提示される抽象概念は、効率より効果の側に期待
されるものがある、ということでしょうか。

これまでずっと下から目線で具体例を用いてわかりやすく説明しようと心がけてきていて、
それはそれである程度まで正しかったと思います。一コマの講義に対して、大量のスライドと
実例を携えて、ぎゅっと詰め込んだプレゼンテーションをする事は、何か誠実な対応であるよ
うに思われるし、間違ってもいないとは思います。しかしどのみち、座学の講義内容は定着率
としてはほんの数%かもしれず、そうであるならば中身を大量に詰め込むよりも、何かを掴み
取りたいと願う学生にとっての効果を重視して、彼らの頭が勝手に回りだすトンチやなぞかけ
を入れてみるというのは、巧い仕掛けになりうるかもしれません。くだんのプレゼンでおそら
く役員は、そういうことを言いたかったのでしょう。

しかし何しろ、やったことのない手法を本番でいきなり試すわけにはいかないもの。幸い、私
はこの場でコラムを書くという場をいただいており、これはある種の特権とも言えましょう。
ならば試してみるまで。BIMとかけましてお正月と解きます。さてそのココロは?

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授