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コラム

BIMは未来からの挑戦状

2024.04.16

パラメトリック・ボイス                   熊本大学 大西 康伸

BIMはその概念が示された時点で、最終的な完成形を見せつけられている。

これまでBIMとは何かを常々考えてきたが(過去のコラム「BIMとは何だろうか」)、いつしか
そう考えるに至った。
まるでエンディングから始まる映画のように、今ある状態と未来のある時点での状態が、どう
繋がるのか順に辿る物語。さあ、どのように「ここ」に辿り着くのか見せてもらうおうじゃな
いか、と叩きつけられた未来からの挑戦状のようにも思える。

「ここ」とは、本コラムの読者であればご存知の通り、建築情報環境におけるユートピア。建
築にまつわるありとあらゆる情報がデジタル化・統合化され、建築の様々なフェーズでそれが
使いまわされるという状況加えてフェーズ間や組織間・主体間での情報の重複や不一致、
喪失が限りなく少ない、という状況。

今ある技術や道具だけで現在とその未来を繋げることは、どうやらできそうにない。道具を変
え、組織を変え、手順や方法を変え、規則を変え、教育を変え・・・。どうすれば辿り着ける
のか、誰も正解は分からないし、答えは一つだけではないかもしれない。一つ言えることは、
皆で答えを見つけるしかない、ということ。一人の天才の知ではなく、そこに集合知が必要と
なる。
お金を出して、例えばBIMと称するソフトウェアを購入してインストールしたところで、手っ
取り早く手に入る類のものでないことはご存じの通りである。ユートピアへの道のりは長く険
しい。

子どもの頃、故夏目雅子ふんする三蔵法師とその仲間たちが、唐から天竺(インド)を目指して
旅する西遊記というテレビドラマがあった。その仲間たちというのが猿と河童と豚なのだが、
どこかユーモラスな彼らといつもシリアスな三蔵の掛け合いが大好きで、いつも放送を楽しみ
にしていた。
曖昧な記憶を辿ると、永らく一行は旅を続けついに天竺に辿り着いたが、旅の目的である経典
は白紙であった、という結末であったような。それが意味することは今となっては定かではな
いが、一行が旅をして世を治めたその痕跡そのものが経典によってもたらされる太平の地で
あったのではないか、と自分なりの妄想で理不尽な結末に納得しようとした記憶がある。

旅そのものが目的、それはBIMにまつわる絶え間ない努力に似ている。差し詰めBIMは経典と
いったところか。
「そこ」を目指してたどり着いた場所が、「そこ」と少し違ってもいい。むしろその違いから
喜びにも似た深い洞察が得られる、今はそんな気持ちでBIMと向き合っている。

卒業式の夜の三次会、研究室の学生たちと集った飲み屋でたまたま流れた懐かしい曲、ゴダイ
ゴのガンダーラに耳を傾けながら、こんなことを考えたり、考えなかったり。
卒業した3人のN君、それにO君、例え将来「そこ」にたどり着けなかったとしても、君たちが
研究室でやってきたことの価値には、一点の曇りもない。

大西 康伸 氏

熊本大学 大学院先端科学研究部 教授