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コラム

部屋と日本酒と理科年表

2024.12.05

パラメトリック・ボイス                                   竹中工務店 / 東京大学 石澤 宰

『Neverland Diner――二度と行けないあの店で』(ケンエレブックス, 2021)という本が素
敵で、ここ最近ずっと読んでいます。編集の都築響一氏は私には「ああ、TOKYO STYLEの
方!」でした。ここでは100人の方々が、すでに店じまいしたなどの理由でもう行くことのな
いレストランや喫茶店やバーや屋台に思いを馳せ、そこで起きたさまざまな出来事をアンソロ
ジー形式で綴っていきます。

飲み食いが大好きな私はこのテーマを見た瞬間に本を手に取り、自分が知っている店がないか
と目次を読み、ああ、そりゃあまあないわな、と思ったのち、ハタと考えました。非常に分厚
いこの本(640ページあります)一冊まるごと、今はもうないお店(ないし、なんらか事情が
あってもう行くことのない店)のことが書いてあるので、これはなにかの役立つ情報というわ
けではないかもしれない。しかしなぜか惹かれてしまう、この感じはなんだろう。


何度も行くほど好きだったのになくなってしまったお店。思い返すといくつもあるのですが、
この話題となると私にとってちょっと特別なお店があります……と、すみません私も真似して
書いてみたいので少しお付き合いください。渋谷のセンター街から例の交番の二又を左斜め、
宇田川通りをしばらくまっすぐ進んだ右手、赤茶色のビルの中にあった「はるばる亭」。年配
の男性店主が一人で切り盛りされる、日本酒がおいしい居酒屋でした。

入ると小さな店の間口いっぱいにコの字のカウンターがあり、2段あるカウンターの上の段に
はいつも大きなガラス鉢が4つ5つ置いてあって、切り干し大根とか、ポテトサラダとか、お
つまみというよりもちょっとした料理がどっさり。料理はもう、見ての通りそれで全部で、食
べきったらおしまい。なぜなら店主がもう飲み始めているからです。

Campusのピンク色のノートが常に店主の傍らには置いてあって、私が過去に来たことを話す
とページを捲り返して「そうだったそうだった!学生さんだったねえ」と思い出してくれるの
でした。大学生だった当時、そんな通好みなような店に連れられて行っただけでも嬉しかった
のに、覚えていてもらえたことがさらに嬉しくて、また行く理由になっていました。

カウンターを囲む壁は本棚になっていて、いくらか並べられていた本の中に『理科年表』が唐
突に置いてある私がパラパラ捲りながら「木星の衛星が増えてる」と口にしたところ、「お、
そうだよ。イオ、ガニメデ……」と店主がそこから話を始める。なんだそれは、と思われるか
もしれませんが、そういう空間でした。今思えばみんな飲み方の大変きれいな人達が集うお店
だったと思います。

入って一歩目の床が抜けていて(本当に床に穴があいている)、酔うと帰りに転ぶ危険なト
ラップなのですが、なにかの他意はなく本当にただ直していなかっただけなのだと思います。
お店がなくなってもう十数年は経つと思いますが、今でも探したらどこかで同じお店、床の穴
までそのままの店が今日もやっているんじゃないかと思ってしまう、そのくらい好きな店でし
た。

 ↑この画像はAdobe Fireflyで生成しました。
  実際のお店の雰囲気だけでもお目にかけたいのですが、なかなかできない。

 ↑この画像はAdobe Fireflyで生成しました。
  実際のお店の雰囲気だけでもお目にかけたいのですが、なかなかできない。


そういうものは、ソフトウエアにもあるかもしれません。学生時代からつらつらと思い起こせ
ば、あの頃使っていて、あんなに便利だったのに今はもうない、あるいは形が変わってその頃
のものではないソフトウエア。便利になっていくようで、案外と「実はあの頃のあれが好き
だったんだけどねえ」というものも少なくない気がします。私にとっては、まだOSXになる前
のmacOSに付属していた「ノートパッド」というミニアプリ(当時はデスクアクセサリと呼
ばれていました)。機能はほとんどないのですが、そこらのメモ帳のように一冊になっていて
ページが捲れるというのが好きで、いまでもそれに似たものがないか探してしまいます。

機能や利便性があるからソフトウエアを使う。それは間違いのないことですが、上記のような
熱を帯びた愛着をもつに至るような何かは、その機能だけでは語れない部分にこそ重要性があ
る気がします。建築を志した身として、それに資する空間は作り得るのかという問いに向き合
うことは重要だと思います。しかしそれ以上に、そこにあるのは人を介した体験のインター
フェイスなのではないか、という気もしてきます。


さきほどのはるばる亭、なぜ床が抜けていて理科年表が棚に置いてある、メニューの少なめな
居酒屋が良かったか、というふうに辿ると謎めいていますが、どういうわけだか私にはそれら
全てが、その店主を通じてつながっていたように見えたのでした。そしてその店主はお店の人
というふうには思えず、むしろその店主の家にお邪魔しているかのような感覚が、他の様々思
い出に残るお店ととても違う感じがしたのです。

氣志團を率いる綾小路”セロニアス”翔氏のDJイベントというのを随分昔に聴きに行ったことが
あります。彼の小中学校時代の思い出の曲を中心に構成したセットリストは独特だったのです
が、それを彼は「まあ今夜は、僕の部屋に遊びに来てもらったような感じで聴いていただけれ
ば」と紹介していて、それがいたく腑に落ちたことをよく覚えています。

我が家は子どもの年齢的にホームパーティを時々します。それほどおもちゃが多いわけでもな
い我が家ですが、普段見ないよその家のおもちゃというのは不思議と面白いもののようで、な
んだかんだ退屈せず遊んでいるのを見るのは楽しいものです。それはそれで「私の娘たちの
家」という、それ以外に名付けようのないひとつのコンフィギュレーションであり、それを楽
しんでくれる人がいるということについて改めていろいろ考えたりします。

私はどうにも「いろいろなものがつながっている」という感覚を持つのが好きなようで、それ
を追い求めている気がします。同じに見えるということは、違っているように見えないという
ことであり、そのくらい細部をつぶさに見ていないということかもしれません。そうしたディ
テールによく気づきとてもつながっているようになんて見えないという方もいるはずです。
その意味でこれはタイプなんだと思いますが、同じような考えの人とは話が早くなって嬉しい
気もするし、タイプの違う人と話すのもまた楽しいものです。


香山リカ氏『文章は写経のように書くのがいい』(‎ミシマ社, 2009)に「何千という俳句を
作った老人」という節があります。雑記のような句、有名な句の真似など平凡な句をつけ続け
る患者を見て「誰にも見せないのに書き続けるなんて、いったいなんの意味があるのだろう」
と思った末に、「この人が、ずっと穏やかな精神状態で療養生活を送り続けていられたのは、
毎日、一定の時間、一定のリズムで平凡な句をつむぎ出していたからではなかったか。――作
業や過程じたいが、彼にとっては心の安定を保つうえで何よりも重要なことになっていたの
だ」と気づいたのだそうです。

部屋や書棚、音楽の趣味、料理などを通じて見える人柄が面白いということはもちろんありま
すが、そう考えると、部屋を飾ったり音楽を選んだりするその時間は実に穏やかなもののはず
で、それに触れるということが心地よいのかもしれません。ソフトウエアにしても、妙に凝っ
たアイコンや、ちょっとふざけたようなメッセージが出てきてニヤリとするのは、そういう穏
やかな時間のお裾分けなのか、とも。

ある海外の企業に仕事を依頼しようとして、「かなり込み入って複雑な話で申し訳無いのです
が」と前置きをしたところ「We like messy!」と答えられ、以降それが気に入ってしまって
私もときどき真似をして使わせてもらっています。問題をじわじわ解いていくのが面白いのは
「絶対どこかでつながっているはずだ!」と信じられるからでしょう。デジタル界隈の人にも
いろいろいますが、こういうタイプの人もいて、周りを見渡すと似た人がちらほらといるよう
に思っています。

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授