脳科学・行動経済学・BIMマネージャ
2015.07.16
パラメトリック・ボイス 竹中工務店 石澤 宰
脳科学や行動経済学の本を最近面白く読んでいます。人の行動や判断の背景にあるメカニズム
が数々の実験によって解明され、それらの大原則のようなものが分かり始めています。
中でも印象的なのは「脳を鍛えるには運動しかない!」*1 という本で、運動が脳内物質に及
ぼす影響をうまく使うことによって脳は「鍛える」、つまりシナプスを増やすことができるこ
とを示しています。私が子供の頃に習った、シナプスは加齢とともに減少するだけで二度と回
復しないという説が覆されつつあるのです。
注目すべきキーワードは、インセンティブあるいは報酬系と呼ばれる概念です。これらには正
負があり、正のインセンティブ(報酬系)とは「うまくいったことはまたやろうとする」、負
は「うまくなかったことはやめようとする」ことを示します。これらの系は何度も経験される
ことで強化され、いずれ無意識の行動原則を形成します。
つまり、「うまくいった」を積み重ねることが人の習慣や行動の形成にきわめて有効であるこ
とが示されているのです。例えば、ファミコンから連綿と続く数々のゲームの中でも人気の高
いものは、初めてのプレイヤーでも易しくクリアできるところから徐々にやりがいが生まれる
よう緻密に設計されていて、いつのまにか「ハマる」ように作られています。*2この種の、ゲー
ムで開発されてきた考え方(およびその周辺技術)が他分野に応用されることをゲーミフィケー
ションと言い、様々な魅力づけや行動の動機付けに応用されています。
先の本で強調されているのは、「失敗のしようのないところから始める」ということです。ラ
ンニングは有効だけれども、運動習慣のない人が始めると挫折しやすい。まずは外に出ること
だけをゴールにして習慣化し、徐々に散歩、ウォーキング、ジョギングと段階を経て習慣化し
ていくプロセスを提唱しています。これは上記の、人気のあるゲームの仕組みときわめてよく
似ています。さらに言えば、主体的にプレイしていて面白いゲームは得てして、どれだけ難し
いステージが待ち構えているかを感じさせない絶妙なバランスを持っているものです。そうし
て楽しんで進めていくうち、いつのまにかプレイヤー自身の「成長」が追体験されるというこ
とは大きな快感につながります。これがまさに「正のインセンティブ」なのです。
同じことはBIMにも言えます。もうお分かりですね。小さなサクセスストーリー、つまり使い
方の成功例を積み重ねることが活用への道なのです。BIMは新しい概念で、かつ業界に及ぼす
インパクトも大きく、業界に危機感を感じさせる側面があるのは確かです。そのため、まずと
りあえずザックリと分かった気になりたいという要望が大きいのも納得できます。特にここシ
ンガポールでは、他の人のサクセスストーリーから効率よく学びたい、失敗を人よりも少なく
やりたいという「怕輸(キアス、福建語)」と呼ばれる考え方があります(どこでも多かれ少
なかれ同様の傾向はあるはずですが)。しかしザクッとした理解はゲームの全体像を先に知る
ということだけであって、レベル1の勇者が大魔王を倒して世界を救うことはないし、放って
おいて勝手に成長する勇者もまたいないのです。
実際にソフトを操作してみると、ある機能を使えるようになるということには純粋な成長の喜
びが感じられます。たとえセオリー通りでも、攻略の楽しみは確実に存在するのです*3。その
組み合わせを経てレベルが上がっていくのであって、いきなり即戦力になるスキルセットを身
につけられるわけではありません。
BIMの裾野を広げることは、ゲームで言うところのステージ構成を組み上げ、プロジェクトの
中でのサクセスストーリーを計画することで達成できます。誰かがその「ステージ設計」の役
割を担う必要があるわけです。そして、それこそがBIMマネージャの重要な役割です。BIMマ
ネージャはBIMチームの正の報酬回路を回す鍵となる職能に他なりません。
「その問題、経済学で解決できます」という行動経済学の本で強調されているのは実験の大切
さです。フィールドで実験が設定され、その結果をもって仮説が証明されます*4。
幸い、プロジェクトに関わる人々にはその機会が豊富にあります。成長の喜びを分かち合いな
がらマネージャもBIMチームとして共に成長する。BIMの最もエキサイティングな部分だと思
います。
*1 「脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方」、ジョン J. レイ
ティ、エリック ヘイガーマン、2009
*2 マリオ研究
*3 ゲームクリエーターが知るべき97のこと、「面白さには旬がある」、遠藤雅伸
*4 「その問題、経済学で解決できます」、ウリ ニーズィー、ジョン・A. リスト、2014