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コラム

プログラミングが必須と言われている時代に
目指すべきこと

2019.01.08

パラメトリック・ボイス       ジオメトリデザインエンジニア 石津優子

Facebookを利用しているので「Facebookから何年前の投稿の内容ですよ」と自分の意図と
しない習慣に過去を振り返る経験が増えました。スイス連邦工科大学チーリヒ校(ETHZ)で
の留学経験は既に6年以上前だということを知り改めて時の流れのスピードに驚いています。

当時の生活を振り返ることが、プログラミングが必須の時代とは何を目指すべきなのかを考え
るきっかけとなりました。スイス政府奨学生のために用意された寮で、ブラジル、ケニア、ベ
トナム、セルビアといった各国から来た留学生たちと共同生活をしていました。専門分野も数
学、生物学、統計学と異なりますが、定期的に一緒に食事をしたりお茶をしたりすることを通
して外国人として自国外で暮らすことによる面白さや共通の苦労を共有したり、スイスという
国を各自の文化と比較したり議論を楽しんでいました。工科大学ということもあり、プログラ
ミングは全員が程度は違いますがスキルとして備えていました。専門性がコンピュータサイエ
ンスではない人たちがプログラミングを行うことを「ノンプログラマによるプログラミング」
と表現しますが、ノンプログラマとしてどう専門へプログラミングを活用するか、どうスキル
を積み上げていくかということもよく話題にしていました。

私の場合は空間デザインからプログラミングを学びました。Javaが初めての言語で、C#を習
い、現在は一番手軽なPythonをよく使います。唐突ですが、専門家としての専門技術への向
き合い方として徒然草に好きな段があります。

第187段:万の道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人に並ぶ時、必ず勝る
事は、弛みなく慎みて軽々しくせぬと、偏へに自由なるとの等しからぬなり “

“ それぞれの道の専門家は、専門家の中では劣っていても、素人の中で上手な人と並んだ時に
は、必ず勝つようになっている。これは、専門家がこれこそが自分の生きる道であると思い、
その技芸・知識を慎んで訓練して軽々しく扱わないことと素人が自由気ままに練習して上達
を目指すこととの違いである。 “

この段で私は二つの立場から自分を見つめることができます。ひとつはプログラマが専門家で
私がプログラムを練習しているけど非家、つまりノンプログラマであるという解釈で読む場合
です。プログラマの方にプログラミング自体の知識で、デザインでプログラミングを使ってい
る私のレベルでは及びません。二つ目の見方は、ノンプログラマによるプログラミングを行う
建築ジオメトリの専門家としては、プログラマの方よりプログラミングを用いて的確な
ソリューションを導き出すことはできると信じています。なぜなら自分の専門だと訓練してい
るからです。専門家の中では劣っていても、専門家は必ず素人には勝る、それはどの分野にも
言えることです。

若い人でないとプログラミングを習得できないからという話を耳にしますが、プログラマにな
ることと、プログラミングを用いて自分の業務を効率化することは全く別の話です。

プログラマを雇うほうが良いのか、エンジニアやデザイナにプログラミングが習うほうがいい
のか、それはどの業務を効率化したいのかの内容次第です。プログラミングを習いたいが年齢
によって偏見で諦めているとしたら非常にもったいないです。まずは一行からでも、自分の
ルーティンワークを代行するためのプログラムを自ら書くことで、自動化やプログラムという
ものを身近に感じることが全体の効率化を図る上で非常に大切だと感じます。

建築や建設の業をよく知る人ほど、ソフトウェアを扱うことはもちろん、プログラミングへ触
れて的確な判断を冷静に見つめることができるのではないでしょうか。ノンプログラマによる
プログラミングを建設業の各分野で推奨することが全体のイノベーションへ繋がると信じてい
ます。専門の分野で「知っている」という言葉を使うことは非常に難しいと思います。各分野
の優秀な技術者の方々にお会する機会に恵まれていますが、尊敬する人たちほど「勉強中で自
分はまだまだだ」と表現する場合が多いです。学ぶ姿勢、専門へと向き合う姿勢というは、
専門の領域すら曖昧な時代に専門外を全くやるなという話ではありません。プログラミング必
須と言われている時代では、専門は学術的な領域や決められた枠組みだけなく、自分という個
人(専門)と向き合う力が一番問われているのはでしょうか。

石津 優子 氏

GEL 代表取締役