【BIMの話】データの話をしよう
2019.08.01
パラメトリック・ボイス 竹中工務店 石澤 宰
オーストラリア人の英語で「エイ」が「アイ」になる、たとえばtodayを「トゥダイ」と発音
するのは、知っていても慣れていないとちょっと耳が驚きます。東南アジアや東ヨーロッパ、
インドの人などがdataのことをよく「ダータ」と発音するのもそれと似ているなあと思います。
などと言えるくらい、建築に関するあちこちの会話で「データ」にまつわる議論が増えてきま
した。私の所属するチームでも、最近はBIMやコンピュテーショナルデザインと並んで、デー
タに関する検討やデータマイニングそのものの業務が出てきました。
データは21世紀の石油とも言われます。私たちの経済・社会・民主主義が立脚する重要な基盤
としての位置付けという意味でのアナロジーにとどまらない、含蓄の深いたとえです。
データ、とくにビッグデータの領域では「量が質に転化する」(Quantity becomes quality)と
言います。大量に持っているということが、実はそれだけで価値を生みうるということになり
ます。産油国が大きな経済的アドバンテージを持っているように、アクセスできるデータが多
いことは知識、決断などの面で優位性を生みます。
しかし一方で、私たちが使っている石油資源は決して原油ではありません。重油、軽油、ナフ
サなどの「精製された」石油を使っています。この点においてもデータは石油のようで、デー
タは精製を必要とします。
DIKWピラミッドは、1980年ごろから提唱されているモデルです。〈データ〉とは整理されて
いないいわゆる「生データ」や「信号」の類であり、それが整理・集計などの処理を施されて
はじめて〈情報〉となり、分析・体系化などを経て認知されることで〈知識〉となり、そこか
ら法則を発見し判断に寄与することで〈知恵〉となる、というヒエラルキーをさします。この
プロセスを経ることで、データは“Shared Understanding”、共通理解にまで昇華することが
できます。
どのような局面にとっても、私たち人間にとってデータが「役に立つ」のは、それが「知恵」
の一部になる状況です。データを見てもそれが判断、とりわけ正しいにつながらなければ「役
には立たない」わけです。心拍数は健康状態を判断できなければ役に立たないし、為替の値動
きは両替や投資のタイミングに活用できなければならないし、競馬のデータは勝馬を予測でき
なければそれまで、ということになります。
データの世界には“Garbage in, garbage out”という言葉があります。どんなに処理や解析の
精度が素晴らしくても、ゴミを入れたらゴミしか出てこない。つまり、インプットとしての
データの出来が悪ければアウトプットは期待できないということです。Your analysis is as
good as your dataとも言われます。
データソースは増大しています。事務所や学校のレベルで蓄積しているデータも増え、スト
レージが安価になったことでデータを捨てる必要性は大きく減り、あらゆるデータがどんどん
ストックされる方向に向かっています。オンラインで公開される統計の類も増えました。話題
になった「ファクトフルネス」で取り上げられたGAPMINDERのほか、世界銀行や統計局、気
象データなど、さまざまな理解を助けるデータが整備されてきました。
これに加え、IoTなどのセンシングデバイスから取得されたデータが加わることがあります。
リアルタイムに計測されたデータは上記のデータベースと異なり、「いま現在」を知ることに
役立つ可能性があります。
これらのデータを複合的に適用する際には、どれか1つでも信頼できないデータが混ざってい
ると、出力としての結果もまた信頼できないものになってしまいます。料理の食材が1つでも
腐っていたら駄目なのと同じで、まさにGarbage in, garbage outです。そうならないために
は、さまざまな情報源をまとめ、「唯一かつ正しい情報源=Single Source of Truth」を形成
することが重要です。このほかにも、膨大なデータベースからあるユーザにとって重要なデー
タを取り揃えた「データマート」、データベースの中身を見ずとも概略を概観できる規格とし
ての「データジャケット」など、データの世界には共通言語とすべき概念がいくつもあります。
では、建築はデータになにを期待するのか。データがあることで、建築はどのように良くなる
べきか。実はこの点が自明ではありません。競馬なら勝てばいいわけですが、建築はもう少し
複雑です。
エンジニアリング的には、過去のデータによってより材料消費が少ない、より環境負荷の少な
い建物など、指標が立てやすい。しかし建築計画や意匠の分野にとって、過去のデータがもた
らす発見を何に活かせば「力」になるのか、という手応えは、まだ全員が持っているものとは
言えないし、私自身あまり豊富な事例を手元に持っているわけでもありません。
ただ、現時点で比較的はっきりと感じていることは、データから発見された知恵をどのように
活かすかという点において、そのさらに高い段階にある知性が求められる状況はあって、その
知性を発揮するのは建築設計の仕事だということです。
いかなる場合でも、建築のかたちが1つの解に集約することはありません(そうなら建築は
もっと互いに似るはずです)。ということは、その都度の局所解を結論づけることが必要なの
であり、それは人間が、周りの人間の合意を取り付けながら行うことです。しかし一方で、
データの世界は進化し、できることを拡大してきています。期待される知性がデータから得ら
れる知恵の上位互換であるためには、私たちはデータのことも十分に知らなければなりません。
そんなわけで最近は「建築データカタリスト」のようなものになりたい、と考えている私です。
自己紹介するときなどにBIM/コンピュテーショナル/データの人、などと自称すると呆れら
れそうですが、このようにデータの世界は私たちの設計的なコンピュテーションのインプット
であり、ここにゴミを混ぜ込むわけにはいかないので、全ては必然的に繋がっていると考えて
はいます。
しかし一方で建築の世界では、ポンポンと新語に出会っては自分の肩書につける、という作法
がまだ一般的でなく、従って今回のタイトルもまた【BIMの話】、です。でも考えてみれば、
データなんてずっと前からある単語なんですけどね。一周回って新しい、ということにしてお
いてください。