情報の寿命
~建物ライフサイクルとデータマネジメント
2019.08.22
パラメトリック・ボイス NTTファシリティーズ 松岡辰郎
建物ライフサイクル全体を情報化する、という考え方が珍しくなくなって久しい。これまで設
計、施工、運営、維持管理といった建物ライフタイムの各工程でそれぞれ閉じていた建物情報を
統合し流通させることで、シングルインプットや次工程への継承が実現される。また、大量の
建物情報を集約・統合することで、建物ライフサイクルマネジメントに関する知見を目に見え
る形にでき、更に社会の情報基盤の一つとして他分野の情報と交換・流通できるようにもなる。
このような考え方自体は決して新しいものではない。しかし、近年のBIMやデータサイエンス、
AIといった具体的な出口と手法の普及、Society 5.0のようなコンセプトが、建物ライフサイク
ルの情報化をリアリティのあるものにしている。
今更書くまでもないが、一般的に建物の寿命は身の周りの様々なオブジェクトの中では長い方
だろう。通常は数十年、長いものであれば数百年の単位で存在し、人間のアクティビティに関
わる。新規の設計と建設は建物ライフタイムの中では最初のごく短い時間であり、大半は運営
と維持管理が続く。運営と並行し、経年劣化に伴う修繕・改修や用途変更に合わせたリノベー
ションといった手入れが断続的に実施される。建物ライフサイクル全体を情報化するというこ
とは、これらの時間の流れと並行し、いつでも目的に応じたデータが使える状態を保持する、
ということになる。建物の寿命が尽き撤去されて姿を消した後も、必要性と価値があれば建物
データは存在し続けることを求められる。
とはいえ、実際に建物ライフサイクルと建物データを同期させようとすると、思った以上に難
しいことがわかる。色々な理由があるが、建物の時間と情報の時間の差異が原因の一つではな
いかと思う。
新築建物の竣工時に竣工図のCADデータや部位機器類のデータを入手し、運営・維持管理や修
繕・改修、リノベーションで使用する。運営の時点で建物に手を加えた際には、その情報を建
物データに追加して現況情報を更新する。現実の建物とその状態を表す建物データが同期する
ことで、建物状態の把握、課題の抽出、今後のシナリオ検討が容易になる。竣工から時間が経
過するほど建物データのニーズと価値は上がるが、変更の蓄積に伴う現実建物と建物データの
同期に対する労力も大きくなる。
建物データには竣工したその日から毎日のように活用するものもあれば、数年後から数十年後
に必要となるものもある。ところが必要になったので保存しておいた建物データを使おうと
思ったら使えなかった……、といったことはそれほど珍しいことではない。何故そのようなこ
とが起こるのだろう。
最初から使い物にならないものであればともかく、これまで使えていた建物データが使えなく
なった、という話は何らかの原因があるはずである。そこで、時間の経過とともに使えなく
なった理由を「建物データが寿命を迎えたから」と考えてみる。感覚的な話で大変恐縮だが、
建物データの寿命は建物の寿命と比較して短いように思える。建物データを長寿命化する方法
はないだろうか。
情報としての建物データが使えなくなった、という時、その原因は概ね3つに分類することが
できそうである。
1つ目は情報の内容が陳腐化して信頼できない状態になることによる。竣工図を参照して改修
を検討した上で現地調査に行ったら図面が現実とは違っていた、という状態である。他にも機
器の数が合致していない、性能諸元が違っていて建物データを信用できない、といったものが
ある。建物データが現実と確実に同期するには、センシングと連携して手動による編集を極力
減らす必要がある。難しいようであれば確実に建物データ更新がされるようなワークフローを
検討すべきだろう。勿論、何を建物データとするかというモデル化規約を決め、長時間に渡り
順守できるようにしておくことが最も重要なことになる。
2つ目は情報の記述フォーマットの陳腐化ということになる。昔のデータファイルを参照しよう
としたら、使用しているツールで読み込むことができなかった、という状態である。最近は過
去のフォーマットが読めないということは少なくなったが、システムアーキテクチャーやOSの
大きな変更以前のデータが読めないということは珍しくない。MS-DOS時代のツールのデータ
やデータベースを現在のシステムで読み込むのは容易ではない。OSや開発元の異なるツールの
データの読み込みも同様である。余談だが、筆者はマーケティングでの購買層分類ではイノベー
ターではないが、自他ともに認めるアーリーアダプターである(新しもの好き、ともいう)。
25年ほど前、民生用のデジカメが発売されると一も二もなくこれを購入し、我が家のスナップ
をデジタルデータに移行した。当時のデジカメの画像フォーマットは(拡張子は忘れたが)互
換性のない独自のものだった。なんとなく危ないと思い、こまめに変換ツールを使ってBMP形
式に変換しておいたが、それを怠っていたら今頃昔の画像を見ることができなくなっていただ
ろう。変換ツールを使用できる環境は今はない。最近は標準化が進んでいるから大丈夫、と安
心はできない。現在流通している各種のデータフォーマットは単なるディファクトスタンダー
ドか、一過性の標準に過ぎないと思った方が良いかもしれない。
3つ目は情報を格納するメディアの陳腐化だろう。3.5インチのフロッピーディスクに格納した
データは今でも読めなくはないが、5インチや8インチのものはお手上げである。また、ZIP、
MO、JazといったメディアはインターフェイスがシリアルからUSBに移行して以降はほとんど
使えなくなっている。ハードディスクでさえ、IDEのものは接続が容易ではない。これらのイ
ンターフェイスはつい20年前には普通に使えていた……にも関わらずである。今は情報はクラ
ウドに保存するから大丈夫、という意見もあるが、クラウドも結局はどこかのサーバのハード
ディスクにすぎない。諸説あるようだが、ハードディスクの物理的な寿命は2年から数年と言
われている。CDやDVDも数十年でアルミニウム層が劣化しデータの読み込みができなくなる
と聞く。筆者がCDを買い始めたのは1980年代初頭だが、今の所ごく少数を除き、読み込みが
できなくなるといった事態には幸いにも遭遇していない。と言っても、こちらもすでに手元の
音楽データは総てデータライブラリに移行したので、気がついていないだけかもしれない。
こうして考えてみると、高度情報化社会を支えるデジタル情報基盤はとてつもなく脆い存在で
あると実感する。冗長化やバックアップを行っているとはいえ、我々は情報という名の薄氷の
上を辛くも踏み抜かずに歩いているに過ぎないようだ。メディアとしての紙は種類によっては
数十年から数百年、石や粘土であれば数千年の寿命を確保でき、リファレンスがあれば当時の
情報(言語)を読み解くことができる。とはいえ、検索や統計分析が可能になるという点で、
デジタル情報の価値は大きい。
新たに作った建物が数十年から数百年の生涯を建物情報とともに送るためには、情報の長寿命
化を考えていく必要がある。そのためには必要なときだけ使うのではなく、継続的なデータマ
ネジメントとメンテナンスも欠かせない。情報もナマモノだと考えるべきだろう。