【BIMの話】データはじめました
2019.12.03
パラメトリック・ボイス 竹中工務店 石澤 宰
大阪の人は全員「大阪の変なおっちゃん」のマネができる、という話をしたら、「正確には中
川家がモノマネする変なおっちゃんのコピーである」というご指摘をいただきました。そうか
もしれません。美川憲一のマネは美川憲一のモノマネをするコロッケのコピーだったりするも
のです。上記のタイトルも「冷やし中華はじめました」ではなく、Mr.Childrenの2002年のア
ルバム曲「LOVEはじめました」から引っ張ってきたつもりです。
ええ、ただの小噺です。文章の書き始めには勢いが必要なのです。
イギリスのVitalityという会社は、Apple Watchを定価の半額以下で提供しています。これは
初期費用で、そのあと月々いくらで支払っていくという買い方になるのですが、その月々の支
払いが数千円だったり数百円だったりします。支払い期間によって金額が変わるのかというと
そうではなく、がんばれば月額はタダにすることもできます。Appleは基本的に値引き販売を
しないので、これは不思議です。なぜ、買う人がなにか努力するとApple製品が安く買えるの
でしょうか。
この仕組みでは、Apple Watchを安く買える代わりに、ユーザはVitality社にフィットネスデー
タを提供します。一ヶ月間の運動量によってユーザはポイントを貯めることができ、そのポイ
ントに応じて月々の支払いが安くなり、ゼロにすることもできるという仕組みです。ではその
頑張ったひとの分のApple Watchの代金はどこから来るのか。
実はVitality社は生命保険会社です。健康的な生活習慣を身につけているとデータが証明でき
る人はリスクを低く判断できるので、デバイスの代金はそこから捻出できる、という考え方で
す。データに価値を見い出せば、モノはデータ取得のための「初期投資」だから安いと考える
こともできる、という事例です。
もう一つ、カナダに拠点を置くPayByPhoneという会社を見てみます。この会社はその名の通
りモバイルサービスを提供していて、近くの駐車場やパーキングメーターの空きを探し、予約
し、決済をするというものです。デバイスの特性を活かし、タイムリミットを知らせてくれた
り、遠隔で駐車時間の延長ができたりという機能も持っています。
いわゆるスタートアップの得意領域であり、最近のモビリティ系のサービスらしい感じがしま
す。しかし注目すべきは、この会社がフォルクスワーゲン社の始めたビジネスであるというこ
とです。ユーザから見れば、どちらも車まわりで不思議はあまりありませんが、業態としてみ
ればかたや製造業、もう一方はサービス業です。自動車メーカーが、デジタル技術を用いて周
辺産業に拡張してきた事例です。
……という、以上の事例は私がたどり着いたものではなく、今年のGartner Conferenceで見
聞きしたものです。上記のようなデジタルビジネスの累計は、「新しいデジタル収益を得る
6つの方法」という記事に詳述されています。
今年のArchi Futureの講演会では、ミラーワールドやブロックチェーンが大きく取り上げられ
ました。私自身、講演会場でそれらの技術と建築の接点についてあれこれ考えたりしていたの
ですが、その直後に中国 杭州を訪問する機会があって考えが一変しました。
杭州といえばアリババの本拠地です。今年の中国ECシングルデー(11月11日、独身の日、恒
例のeコマース大規模セールの日)でアリババは一日で4兆2千億円を売り上げたとのこと。
私の所属する会社の3年分の売上を1日で達成している企業です。そのアリババが杭州や上海
のスマートシティ化に向けて様々な取り組みを行っている。
ほんの少し訪れただけでもそれは明らかです。杭州の都市部には都市ブレインによる動的な交
通制御が取り入れられていて、渋滞こそあるものの、確かに信号にひっかかりにくい。監視カ
メラは直接人の顔から個人情報を特定するので、決められたところ以外を横断するなどすると
すぐに把捉されるため、信号のないところを横断するひとが本当にいない。Alipayの普及率も
尋常ではありません。現金の受取拒否は違法とのことでしたが、まず自動販売機がコインを受
け付けていない。小さな売店や食堂も確実にAlipayが使えるので、むしろお札やコインの出番
が本当にない。結局両替したお金はほとんど使わずじまいでした。
建築という世界の中にいる私のような人間はときどき、建築の集積が都市であり、都市は建築
にしたがってゆるやかにデジタル化していくように考えることがあります。
しかし、この数ヶ月にあちこちで私が見たり聞いたりしてきたことの示している方向は、どう
も違う。都市のほうがよほど早く、止まることなくデジタル化していって、建築の中だけがい
つまでたっても満足にデジタル化しない。あるいは、デジタルの力がユーザに届かない。新し
いビジネス、ダイナミクスを生まない。そんなことになっていきそうです。
最初の話を建築に置き換えて考えたときに気づくことがあります。
建築そのものよりも建築のデータの方に価値がある、という現象の萌芽はすでに見られます。
だったら、建築は安価に、あるいはタダ同然にしてしまって、そのデータから得られる知見で
ビジネスを発想するということは可能か。不可能である理由は特に思いつきません。現状の価
値構造が大きくアナログ寄りになっているだけのことです。
あるいは、建築で扱うデータと、そのデータに付随するインサイトをもとに、周辺の産業に乗
り出すことができるか。一部の施設管理などはありうるとして、ではそれがヘルスケアに、農
業に、交通に活かせるか?そういう将来を見通してデジタル化への歩を着実に進めていける
か?これもできない理由はありません。
ところが現状、建築業界のデジタル化はまだ「する/しない」のモードを脱出できていません。
建設業界のデータにどんな価値を付与してよいのか、という議論が物別れになるのも当然です。
自分が触れたことのない商材に値段をつけるのは難しいはずです。
今年のGartner ConferenceのキーワードはTechQuilibrium(テクウィリブリアム)、「デジ
タル化の均衡点」でした。どんな業界・業態・職種も、デジタルビジネスの比率を100%にす
ることはほぼ不可能なので、それぞれのアナログビジネス・デジタルビジネスの最適な比率を
探していこう、という概念です。
ここで強調されていたのは、「だからといってアナログメインの現状に留まっていていいとい
う意味ではない」ということでした。やはりさすがに、する/しないの議論をしている時間は
もうないな、という感じがますますしてきます。
新しいことを始めるとき、それがダイエットであれランニングであれ、ひとつの効果的な方法
は「それを始めたことを周りに宣言する」というものです。そうすることで人の目が向き、い
ろいろな注目が集まってくることで本当にやらざるを得なくなってくる。そうこうしているう
ちに習慣になっていく、知識も体力も身につく……みたいな流れです。
「冷やし中華はじめました」の幟やポスターは、「他のお店が出しているからうちも」という
理由で出されている中華料理店が多いようですが、やはりその効果は絶大です。冷やし中華を
実際に食べる人より圧倒的に多くの人が「冷やし中華はじめました」を見ていることは明らか
です。逆に言えば、冷やし中華を始めたからといって全てのお客様が冷やし中華に殺到するわ
けでもないのです。
「データはじめました」、言うだけタダです。張り紙でも作って貼ってしまいませんか。季節
ものにならなかったらさらに良いです。