Magazine(マガジン)

コラム

【BIMの話】建築家はAIに追い出されるか

2022.08.23

パラメトリック・ボイス                                                    竹中工務店 石澤 宰


応援メッセージの送り手は、受け手がどれほどその温かみを喜ぶかについてを過小評価し躊躇
する、という論文を最近読みました(Dungan, J. A., et al. (2022). Too Reluctant to
Reach Out: Receiving Social Support Is More Positive Than Expressers Expect.
Psychological Science.
)。お店の帰り際に「おいしかったのでまた来ます」「子供がとても
楽しんでいい写真が撮れました」などと伝えるような小さなことでも、受け手が思った以上に
ポジティブに受け止めている可能性は高いようです。少年ジャンプの欄外とかに書いてあった
『〇〇先生にはげましのおたよりを!』というアレは本当に効果あったのだろうなあ、と思い
ます。

そんなわけで、大学などでお招きいただいた講義の終了後にいただく質問を本当に楽しみにし
ています。フィードバックを受け取るたびに実際、鋭い質問をいただいたときはなるべく個別
にご回答をするようにしていますが、さらにもっと色々答えたくなってしまった質問というの
があり、今回はその質問者にご了承をいただいたうえで一部引用させていただき、ここでフル
回答を試みたいと思います。その質問はこちらです:

  これから、機械化・情報化が進んでいくと、建築学においてもAIが進出し、私たち人間の
  出る幕はなくなってしまうのでしょうか?建築において、私たちが出来て、機械が出来な
  いことはありますか? とても些細なことで申し訳ありません。先生の考えをお聞かせく
  ださい。

もちろんこの質問は些細なことどころか、建築に携わる人ひとり残らず関係する大きくて重要
な問題です。その点では、この問いに答えがあるというよりも、この問いに至ったことが一つ
の答えであるのではとすら思います。

さてさて、ここでは紙面がたっぷりありますので、いろいろ資料をお示ししながら回答してい
こうと思います。完全に一方的に楽しんでやっていますが、何卒お付き合いください。

まず、The Future of Employmentに触れないわけにはいきません(Frey, C. B., &
Osborne, M. A. (2017). The future of employment: How susceptible are jobs to
computerisation? Technological Forecasting and Social Change, 114, 254–280.
様々
な職業ごとにどの程度コンピュータ化されて人間が不要になるかを評価したものです。702の
職業の中には建築関連の仕事も複数挙げられており、異なる評価を受けています。コンピュー
タ化されにくさの順位(数字が小さいほどまだ人間が必要)では、重機オペレータ(702位中
617位)、建設作業員全般(同512位)、建築検査官(350位)、製図担当者(305位)、建
設現場管理人(199位)、建設マネジメント(154位)、建築家(82位)などとなります。繰
り返し作業が多い人に比べると、何かを発想したり柔軟な対応が求められたりする割合が高い
ほど機械に取って代わられにくい、と解釈できます。その観点からは建築の仕事の中にも色々
あって、いっぺんにすべてがいらなくなる未来というのは想像しにくい、と言えます。単純な
作業、確実性の高い領域がまず自動化され、徐々に領域が拡大します。自動運転の実装が高速
道路などから始まっていること(自動運転レベル2・3)などはまさにその例でしょう。

このような領域のAIは、他産業や他分野で開発されたものが応用されることもよくあります。
そして人間はそのことを徐々に受け入れ、「まあこれでもいいや」といえる境界線が徐々に変
わっていく。ルンバが掃除した部屋、食器洗い機が洗った食器、Spotifyが作るプレイリスト
で概ね満足なのでよしとする。これらの現象は『弱いAIのデザイン』に詳しく書かれていま
す(Noessel , Christopher. (2017). 弱いAIのデザイン : ツールからエージェントへ。 :
人工知能時代のインタフェース設計論 (武舎広幸, 武舎るみ 訳). ビー・エヌ・エヌ新社.)。

では強いAI産業全体を大きく塗り替えるようなAIは建設業の外からある日突然やってきて、
私達の仕事を根こそぎ持っていくのでしょうか。倉庫のように単純化された作りやすいビル
ディングタイプであれば、自動化しやすいように作るという戦略はありそうにも思えます。し
かしそれが容易ではないことは、ConTechの雄と目されたカテラが2021年6月に経営破綻した
ことや、Sidewalk LabsのToronto Quaysideの提案が中止となったことなどからいくらか学ぶ
ことができます。建築法規ひとつとっても、自動的に解くというのは険しい道程です(参考の
コラム
)。まして製造業などと異なり、建築や都市では発注者やユーザも最初からその一部に
組み込まれています。自分たちがシステムの中にいるということは、自分たちの心変わりがそ
のまま全体に影響を及ぼすということです。様々な不確定要素があり、問題の境界も確定して
いるようでしていないといえます。

そして、コンピュータを動かす計算にも制限があります。計算の中には、簡単にことばにでき
るのにコンピュータには解けないという問題、それも「扱いにくい」のではなく「計算不能」
という、計算できないことが論理的に証明されている問題があります。この点については
オライリー「計算できるもの、計算できないもの」が特に読みやすくお薦めでき
ます。(MacCormick, J. (2020). 計算できるもの、計算できないもの: 実践的アプローチに
よる計算理論入門.オライリー・ジャパン.)。とりわけ上記のように、自分自身が問題に含ま
れる状況は難しい。まずこの一点を知っているだけでも、AIがなんでもかんでもすべてを扱え
るわけではない、ということが理解しやすいのではないでしょうか。

代々木体育館などの構造デザインで有名な坪井善勝氏は、「真の美は、構造的合理性の近傍に
ある」と述べました。「美しさは合理のみからは生まれない。構造的合理性から少し外れても
構造的処置は可能である」との技術者の信念を表す言葉とされます(坪井善昭 他, (2012). 力
学・素材・構造デザイン. 建築技術.)。ある条件下において最も合理的なもの(局所最適と呼
べる時もあります)よりも高次元なもの、美しさを感じさせるものにするには、理解と共感に
もとづく何かの要素が必要になる。それを加えた結果は力学的・材料的な最適解そのものでは
ない(そこだけみれば最適解よりも劣る)が、全体の建築・空間としての価値はより高まる。
これは計算の結果ではなく、人間同士の合意によって作られるといえます。AIが満足な結果を
出したからこれで設計が確定する、というわけでもないのです。

以上のようなことからすると、AIは時に人間を圧倒的に凌駕するが、だからといって人間が要
らなくなるわけではなく、建築の様々な側面を統合させ完成させる知的労働は機械に置き換え
られない(置き換えてもその結論をまだ人々が受け入れない)領域であると思われます。少し
安心できる結論が見えてきました。

しかしその上で……迷いつつも、最後にRem Koolhaasのこれを引用します。

  建築は―環境を定義する技術だが―変なことによくディテールで判断される。
  “うまい”ディテールはナルシシズムの型(フォーム)だ、あるいは絶望の印だろう。
  放っておいてもいいところを問題にして、壁と床が“出会い”、ガラスと石が“邂逅した”
  などとやり、それくらいのことで“オレはこうやって問題を解決する”という。
  しかし建築には初めから問題なんてないのだ。
  長年の間、このオフィスはディテール無しに集中してきた。
  うまく行ったときには―抽象化が進み、消えてしまう。
  うまく行かないと―今もここにゴロンとある。
  ディテールは消えるべきだ―そんなのは古い建築なのだ。(OMA@work.a+u : レム・
  コールハース (a+u : 建築と都市, 2000年5月臨時増刊). エー・アンド・ユー. )

もしかすると、AIが作れるくらいシンプルで作りやすい建築で実はほとんどの人々は満足で、
評価の高いものは建築関係者だけに持て囃されているのではないか。あるいは本当にRemの言
う「ナルシシズム」、自己満足になってはいないか。コンピュータがやらないからといって、
誰のためにもならないことを作りだすマッチポンプに陥っていないか。書いている自分の胸に
手を当てたくなるような指摘です。

現時点でコンピュータ・機械のみで建築を作るのは難しい。これは事実ですが、段階的に自動
設計や自動化された施工は進み、それのみで造られる建築は必ずや実現するでしょう。例えば
月面空間での建築を考えれば、そもそも作業員自体が存在しない環境での建築行為が必要にな
るため、人間の関与が最小限の建築は絶対条件です。ここでは作業する人は存在しないが、構
想する人は必要になる。たくさんの建築がAIで造られるとしても、そのAIを設計する仕事はや
はり必要になる。

AIが人間の仕事をどんどん肩代わりしていることは事実です。しかしそれが意味することは
建築に関わる仕事が不要になるということではなくその中身が変わっていくということです
今は設計者の能力を補完することが主軸となるAIも、いずれはある部分の労働を置き換える力
になります。その時に「おいしいところが持っていかれてしまった」にならないためには、計
算結果を超えた新しい可能性(仮説)を探索すること、そしてそれを他の人間に理解可能な言
語や表現で共有可能にすることなどを、仕事の中核にもつことだと思います。その際に、コン
ピュータはどのように動き、どのような特性があるのかを知っておくことは非常に役に立つで
しょう。

建築をつくる者への社会的責任がますます明確に問われるようになり、『完璧な建築を作らな
ければならない』という重苦しさが増しているように思います。しかし、すべてが完璧な建築
は存在せず、ある考え方のもとに作った建築は別な角度からみれば非合理です。そのうえで、
でもこうであるはずだ、という仮説を問うためにコンピュータがあります。モデルやデータか
ら得られる事実と、勘・経験・度胸を何度も戦わせて確かめる。設計者の人格は、その中立な
レフェリーである必要がありますが、それと同時に「こんなのできたらすごいな」という無邪
気な構想を突如口にすることも期待されており、その行ったり来たりが自由にできることに価
値があります。

きっと今後も類似の質問がくると思うのでここに書いてみましたが、より素直な本音は「いっ
ぺん本気で回答してみたかった」です。とはいえ、これにほぼほぼ近いものをご質問者には回
答しており、受信して中身を見た時の心境いかばかりかと今更申し訳ない気持ちになっていま
す。限られた言葉で有効な回答を紡ぎ出すというのは熟練の為せる技ですね。精進が足りませ
ん。

数年経って読み返した時に色々とツッコミを入れたくなる予感がしますが、この時点でのスナ
ップショットとして残すことが大事、と自分に言い聞かせて投稿します。未来の自分からナイ
スファイトと言われるように書こう、と思うと自分の応援を受けて頑張れそうな気が……す
る、でシメようと思いましたが、よく考えるとあんまりそうでもないですね。永久機関は作れ
ません。

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授