思考のサイボーグ化と「時間」
2016.01.26
ArchiFuture's Eye 慶應義塾大学 池田靖史
本コラム執筆陣の間で人工知能の話題が盛り上がり様々な視点からの興味深い意見が提示され
た。総じて言うと決して悲観的になるべきではないが、見過ごせない問題でもあるというとこ
ろだろうか。一連の議論で私自身が最も興味を覚えているのは「サイボーグ化された思考」か
ら生まれる意識と展開である。それは人間の身体的感覚とコンピューテーションの融合を生む
ようなダイナミックで密接な協調関係のことを指すのだと思う。これまでアルゴリズミック・
デザインについてどこかで話すたびに人間のデザインプロセスを置き換える事の是非や可能性
について質問を受けた。そんなときに人間の思考を置き換える事が目的ではなく拡張するため
に協調するのだと答えていたものの、今回、この点をもっと意識して日常的で現実的な問題を
追求できることに改めて気付かされた。
その代表例が人間とコンピューターのインタラクションにおける「時間」の流れである。多く
の方は普段から様々なソフトウェアにおけるコマンド・レスポンスを意識しているのではなか
ろうか。なぜかパソコンの速度が早くなっても「処理待ち」への苛立ちはなくならない。人間
側の要求が貪欲だとも思えるが、協調的な思考インタラクションという視点で考えると実は重
要なのかもしれない。いわばそれは「会話のリズム」のようなもので、人間どうしの対談が絶
妙な化学反応を見せるときや、聞き上手な人が合いの手だけで深い話を引き出すように、微妙
なタイミングにすら大きな差異があって、BIM作業中にスピニング待機アイコンやプログレス
バーを見つめることで失っているものは時間の効率だけではないとも考えられる。
考えてみると時間の長さは人間の思考速度と切り離せない関係にある。ここで問題にしている
のは記憶の中にある過去の時間ではなく、流れつつある「今」の時間の速度感覚で音楽の再生
速度を考えるとわかりやすい。すると、そもそも一般的に使われている1秒や1分という単位
にも暗黙の意味があるようにも思えるのである。1日の長さは地球の天体的現象から当然とし
てもそれをどのように分割するかには人間の情報伝達システムとしての無意識の調節があった
のではないかと思うからだ。1秒は複数の人間の頭の中で進行中の思考が同時並行的に応答す
るのに適度な長さ、1分はwait a minuteの言葉通り、相手の意識が他に奪われ中断をしない
で待てる限界を示しているように思える。
図形や形態のパラメトリックな変形がもたらした機能や感覚もこの速度差に大きく左右される。
多くのアプリケーション開発者が意識していることであるとは思うが、それでもBIMの包括的
なデータ性という概念との兼ね合いから犠牲になっている気がする。データの総合的な共有化
がもたらすコミュニケーションの革新がその本質であるから、データもコマンド体系も重たく
なってしまうことはある程度無理からぬ事だ。しかし、だからこそ現実空間に存在する情報を
網羅的にデータ化しつつ必要な部分に自動的に注目する方法や、増殖する機能や応用方法を高
速に発見可能する支援方法のようなデータ技術の革新を通じて思考プロセスとのシンクロ効果
を高める努力が重要なように思う。すなわち何でもできる重たいBIMではなく、徹底的にスピー
ド感やインタラクションにこだわって機能を限定するのも一つの道ということである。
昨年末にOnshapeという無料登録で使える3DCADがβ版から正式リリースとなった。スマホで
もタブレットでもブラウザだけで使える完全なクラウドベースCADでデータは全ての端末から
常にダイナミックに一括管理される。扱えるデータ量も速度にも表示機能も他の高機能3DCAD
に全くかなわないだろうが、ここではグーグル・ドキュメントのような感覚で進めるプロジェ
クト・ワークフローの並列性向上という画期的な機能が実装されている。データの進化を履歴
として全て記録し、共有する誰の作業のどの位置からでも復元や別バージョンの派生などがで
きることで、データではなく変様体としてのデザイン思考の共有とポータビリティーの持つ可
能性を追求したのである。その結果、人間だけでなく計算機を含む複数の主体がデザインの思
考プロセス時間軸自体を自由自在に行き来することで、その協調関係を活性化させるタイムマ
シンのような新しい世界を開いたように思える。思考のサイボーグ化と「時間」の密接な関係
を思わせるとても興味深い展開である。