BIMは現実とかけ離れた存在か
2023.07.11
パラメトリック・ボイス 熊本大学 大西 康伸
事件は現場で起きている。
ひと昔前の有名なフレーズであるが、建築や土木の世界も同様である。製造業の中で、建築や
土木は唯一固有の敷地があり、そういう意味での現場と、建築や土木は結びついている。敷地
固有の様々な条件があり、さらにその地域の気候風土、法規、利用者ニーズがある。敷地を読
み解くことがいかに大切かは学生時代から嫌というほど聞かされてきたし、経験を重ねるごと
に実感するところである。
それはわかっているのだが、標準化のツールとも言えるBIMに触れていると、その固有の、を
ついつい忘れてしまう。一方で、その固有の、が強く発現する現場に近い人ほど、BIMを嫌う。
従来のやり方、我が社のやり方、私のやり方。BIMは理想だが、理想だけで世の中動いている
わけではない、そんな声が聞こえてくる。
現場とは現実である。BIMは果たして現実とかけ離れた存在なのか。
真っ白で、何もない。
BIMソフトのファイルを新規作成で開いたとき、この状況に若干の失望と大いなる諦めを経験
したことはないだろうか。
もちろん、インターネットから航空写真や地図をダウンロードし、それを下敷きに設計を開始
することはできる。また、費用はかかるが測量図のCADデータが手元にあるかもしれない。大
抵の場合、BIMソフトを使って、2次元の敷地情報の中で3次元の建物の設計を開始する。国土
地理院が提供する基盤地図情報数値標高モデルや国土交通省が提供するPLATEAUの都市ボ
リュームモデルはあるが、提供されている都市部のモデルでさえ、精度と詳細度の面で配置検
討には物足りない。
これはBIMソフトに限ったことではなく、従来のCADを用いた設計でも同様の状況であり、こ
とさらそれを嘆く必要はないかもしれない。しかし、情報技術革新が著しい現代において、立
体物を立体的に設計できるBIMソフトにおいて、それが当たり前で果たしてよいのだろうか。
比較的フラットな敷地であれば、あまり問題にならないかもしれない。しかし、敷地内や周辺
道路に大小様々なレベル差や勾配がある場合、平面的な検討や当てずっぽうな高低差に基づく
検討でよいのか。さらに、敷地内に既存の樹木や構造物がある場合や、敷地周辺の景観を構成
する様々な要素は、頭の中で設計案と合成するしか方法はないのか。
その諦めに希望を見いだす技術として、現実世界をスキャンするリアリティキャプチャがある。
BIMソフトを開いたその瞬間からそこには現実の敷地と見紛うモデルがあり、その仮想敷地の
上で設計を進めていく。我々はそんな夢を見て、昨年度から敷地のデジタル化とBIMソフトを
用いた配置計画支援に取り組んでいる。ここで大切なのは簡単に(さらに、できればお安く)
ということであり、面倒であれば設計者は理想と現実を繋ぐことができなくなる。
はじめは上手くいかなかったドローンを用いた測量も工夫により少しずつ精度が上がり、iPad
のLiDARスキャナで取得した点群と組み合わせて、敷地および周辺の点群を効率よく作成でき
るまでになった。その点群の分離や点群に基づくBIMオブジェクトの作成を自動で行うプログ
ラムも開発した。設計者は必ず現地調査に出向くが、その延長で敷地がデジタル化できる程に
なった。
今はその敷地モデル上での配置計画を支援するプログラム(現況地形に基づく建物や駐車場の
自動レベル設定や計画地形の自動モデリング、外構動線の勾配評価、自動土量算出など)を順
次開発し、拡充を続けている。
このような敷地のデジタル化にまつわる取り組みを続けていると、BIMはむしろ現実との架け
橋(の一部)であり、デジタルの力をテコにして敷地固有の条件をそれ以外の情報と同じ土俵
に乗せることができる、現実を扱うことのできる枠組みであるように感じる。
理想と現実は違う、ではなく、理想を現実にする。そんなことをBIMに期待してもよいのでは
ないか、最近そんな風に思い始めている。
実は現在この研究は、昨年4月28日のコラム「楽が一番という価値観とBIM」に登場した、組
織設計事務所を退職してドクター学生として研究室に出戻ったM君が、理想と現実の狭間で日
々もがきながら担当している。実務を経験し現実を知る彼が、理想を求める研究室で取り組む、
まさに打って付けの研究テーマだと我ながら思う。
近い将来、理想を現実にする日が彼にやって来ることを、願ってやまない。