壊れた電卓を眺めつつ、
BIMと生成AIの融合を考える
2023.09.07
ArchiFuture's Eye 日建設計 山梨知彦
長年使っていた電卓が壊れてしまった。液晶の表示がおかしくなり、数字の解読が不可能に
なった (写真1) 。
日用品や事務用品に特段の思い入れは無い方だが、この電卓だけはわけあって、その使い始
めの日の記憶が鮮明に残っている。今から30年前、父を癌で亡くした。その翌日、父の仕事
部屋に入り、机上に放置されていたやや大ぶりで事務機器然とした電卓を見つけた。カッコ
いいわけでもなく、高級品ということもないのだが、何気なく持ち帰って以来、会社の机の
上に置いて今日まで使い続けてきたものだった。
元々、事務用品には無頓着な方なので、自分で買った電卓であれば、1年もすれば必ず行方
知れずとなり、新しいものを買うことを未だに繰り返している。それが不思議、この電卓に
変えて以後、行方知れずとなることはなかった。おおらかな職場だから、自分の電卓が見つ
からないときには、隣の机の電卓を「ちょいと拝借!」することもされることもあり、短期
的には行方知らずになることもあった。それでも、ちょっと大きめの目につくサイズのため
だろうか、何故か最後は手元に戻ってくる、ブーメランのような電卓だった。こんな具合に、
30年もの間、使って来た。今では極めて出番は少ないものの、手に馴染んだ道具として、手
放せないものになっていた(写真2)。
実はコロナ以降は、家に持って帰って使っていた。それというのも、コロナ期に乗じて、こ
こしばらくは自分では直接触る機会が減って来た、BIM、CAD、CGなどのソフトウエアや、
スタッフ任せになっていた3Dプリンターを、自分自身が思い浮かべたアイデアを手元でク
イックプロトタイピングをするために使う機会が増えた。この新しい道具を使っての作業を
支え、ストレスを最小に抑えるためには、手に馴染んだ小道具が大事だと考えての事だっ
た(写真3)。
電卓が家にはないわけではない。この時代だから、スマートフォンには電卓アプリがインス
トールしてあるし、よりコンパクトで高機能になった電卓だって家の中に転がっている。最
初はこれらを使っていたのだが、小型なため、すぐに机の上の雑物の影に紛れ込んでしまい、
使いたいときに使えない。それと小型の電卓は、打ち損じが多くて、仕事で長時間繰り返し
て使うには向いていない。スマートフォントとは異なりCAD画面などをよそ見しつつ使う電
卓は、指のスケールにあったキーボードを備えている必要がある。楽器と同じだ。そう感じ
て、この古い電卓を家に持って帰って、使っていた。
今回壊れて初めて、「この電卓は、電卓の世界ではどういった位置づけの機種だったんだろ
う?」との興味が生まれ、検索エンジンを叩いてみた。1980年代後半から1990年代にかけ
て販売されていた機種らしく、僕が使い始めたのは、この電卓が出たばかりの時期であるこ
とが解った。父もおそらく買ったばかりで、特別な愛着を持つには至っていなかっただろう。
検索エンジンが教えてくれたもう一つのことは、この電卓はいわゆるロングセラー商品で、
多少デザインや機能は違っているものの、30年前の電卓をベースとした同じ型番で枝番号が
付された電卓が今もラインナップである位置を占めているということだった。長年使って来
たにも関わらず、キートップに印字された文字がすり減っていないことにも驚いていたが、
実は印刷ではなく二種類の色が異なる樹脂でつくられていて、キートップが摩耗しても文字
が消えない仕組みになっていた。たまたま出会い、経験した、「無くならない」「打ちまち
がえない」といったこの電卓の「手に馴染んだ道具」としての側面は、実はロングセラーに
つながる適切なデザインがもたらした計画された体験なのかもしれない。壊れた電卓を眺め
つつ、そんなことをぼんやりと思っていた。
■BIMは、手に馴染んだ道具になっているか?
ふと、BIMが手に馴染んだ道具になっているかが気になってきた。
2009年にBIMの紹介本、「BIM建設革命」を書いて以後数年は、僕はBIMの推進派として、
自分が担当するプロジェクトでBIMを使ったり、BIM普及につながるような講演会などの社
外活動を続けていた。だが今では、BIMを自らの担当プロジェクトで設計ツールとして使う
ことは継続しているが、いわゆるBIMエヴァンジェリスト的な行動はしていない。
その理由の一つは、初期はなかなか進まなかったBIMの利用が、2010年代の半ばになると
それなりの普及をし始め、自分自身が推進派として旗を振る必要性を感じなくなったことに
ある。
2つ目の理由は、BIMが建築情報データベースとして、莫大な情報を扱い得るプラットフォー
ムとすることが究極の目的であるが、このためには現在のBIMは世代遅れと言っても良いほ
どに、パワー不足で、かつ根本的な機能の欠落があると思うようになってきたからだ。
1つ目の理由に関して言えば、3次元設計のメリットを生かして、複雑な形状においても、
意匠、構造、設備の整合が図れた設計が増えたことを実感しているし、コンピューターシ
ミュレーションも、設計の初期段階から利用されるケースが増え、設計の精度は上がってい
るように思っている。
2つ目の理由の方は、ここ10年ほとんど進展がないと言ってよいのではなかろうか。当初よ
りBIMに対して感じている疑問は、BIMが理想的な建築情報データベースとして必要として
いる情報量や情報精度が高すぎて、設計時はもちろんのこと、ビルの管理運用段階において
も、人間が実際に入力し、整合を取ることは困難に思われることだ。
この「高度に整合を取れた情報をコンピューターの中に人力で構築し、そのデータをコン
ピューターが利用する」という考え方は、「第二世代の人工知能」や「エキスパートシステ
ム」と呼ばれた専門家が持つ知識を学習させたコンピューターにより問題解決を図ろうとし
た時代の図式そのものである。第二世代の人工知能が、その後行き詰ったように、「膨大な
情報を処理することが得意なコンピューターを相手に、その作業が苦手な人間が相手をして
コンピューターに情報を学習させていく」方法には素人目にも無理があるように思われる。
現在のBIMは正にこの考え方をベースにしている。現在のBIMを「自動積算」などの建築情
報データベースとして使おうとすると、建築家はBIMに自らが発想する「かたち」を入力す
るのではなく、それを柱や梁や表面仕上げなどの建築部材に分けて(これを、建築情報を
持った建築部材とか、アトリビュートや建築属性を持った建築エレメントなどと呼ぶ)打ち
こまなければならない。かつその複雑な間違いなく打ちこまない限りエラーが出て、「正し
い情報を完璧に入れろ!」と要求して来るようなものだということである。極論にはなるが。
我々が必要としているBIMは、建築家が打ちこんだ「かたち」から、BIMソフトウエア側が
自動的に類推し、柱、梁、屋根仕上げといった建築エレメントに仮分類して、提案してくれ
るようなものではなかろうか?この時点で、建築家が概算を尋ねたら、建築家に2,3の簡
単な質問をして、そこから建築グレードを仮設定し、情報データベースを参照して適宜コス
ト情報を仮設定して、自動的に概算を提示してくれるようなものではなかろうか?巾木の有
無が混在する図面に対しては、巾木の有無を統一した仮提案を行い、展開図などの変更箇所
に雲マークを付した図面と共に、自動的に建築家にどちらの方向で整理をするのか/しないか
を尋ねてくるようなものではなかろうか? 人間は基本方針を決め、例外と最終確認におい
て注力し、それに従い自動的に膨大なデータを間違いなくインプットして、高度に整合を図
るのは、ソフトウエア側が担ってくれるようなものではなかろうか?
■生成AIを活かせないか?
近年になり、第三世代の人工知能である「機械学習」が登場し、生成AIが登場した。生成AI
の使い道はいくらでもありそうに見えるが、実はなかなか難しそうである。僕自身は、上記
の「我々が必要としているBIM」のところで「自動的に」と書いた部分の作業を生成AIに
担ってもらうことで、BIMはそのスタートの重要なコンセプトである「建築情報データベー
ス」の方向に大きく進んでいくのではないかと考えている。
生成AIを巡ってはその適応方法やビジネス化に向けて、企業間はもちろんのこと、国単位
で熾烈な競争が繰り広げられることは間違いない。その時勝負になるのは、生成AIを支える
ための膨大な既存建築情報の集約が出来るか否かという点に尽きるだろう。とても一企業の
情報では足りない。現時点では周回遅れの位置にいる日本が、生成AIと建設の分野でプレゼ
ンスを示せるとしたら、一企業に閉じることない建築情報データベースを構築できるか否か
にかかっているように思える。